教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 本能寺の変(1582年)で織田信長と運命をともにした忠臣たち。その中の一人、村井貞勝(むらい・さだかつ)の知られざる一面を覗いてみよう。

 生年や出自は不明だが、実務能力に長けた官僚タイプだった。永禄11年(1568年)10月14日に信長が足利義昭を奉じて上洛。

 信長がただちに岐阜(当時の居城)へ帰城した後も貞勝は京に残り、一五代将軍となった足利義昭の御所造営や内裏修復などに力を尽くした。

 その後、信長と義昭の関係が悪化。天正元年(1573年)に将軍追放という結果を招き、京で幕府に代わって織田政権が誕生すると、信長から「天下の所司代」を仰せつけられる。

 当時の「天下」は畿内の中心である京を指し、信長が安土(滋賀県近江八幡市)に居城した後も、その代官として京の行政司法などに預かった。

 貞勝が織田政権の京都所司代といわれる所以である。なかでも重要なのが朝廷や公家らとの交渉だと考えられる。