教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
明智光秀の娘・お玉は、熊本藩・細川家の基礎を築く忠興に嫁ぎ、キリシタンとなって細川ガラシャと呼ばれた悲劇のヒロインである。
謀叛人の父を恨み、嫉妬深い夫の束縛に遭い、そうした苦しみから逃れるための救いをキリシタンの教えに見出したとされる。そんな彼女の最後の悲劇は、関ヶ原の合戦と同年の慶長五年(1600年)にやってくる。夫が東軍として従軍中、西軍の人質となるのを拒み、家臣の手にかかって自害して果てるのだった。
彼女がそんな薄幸な人生を歩む起点は父・光秀の謀反(本能寺の変)にある。しかしガラシャが、父を恨みつつも残された明智家の者らの行く末を案じて実家を大切に思う気持ちを持ち続けていたことが、明らかになってきた。
細川家の家記『綿考輯録(めんこうしゅうろく)』によると、舅・光秀の謀反を知った忠興は、妻のお玉を丹波の味土野(みどの)(一説には丹後)に幽閉し、このとき彼女は父の光秀に手紙を送り、「腹黒なる御心ゆえに(わたしは)忠興に捨てられ、幽なる有様になってしまいました」という恨みを書き連ねている。父のせいで夫に幽閉されてしまった身の上を嘆いているのである。