野球が“国民的スポーツ”だったあの時代。バットひと振りでスタンドを沸かせたスーパースターがいた。
今や、大谷翔平(31)を筆頭に、日本人選手が大リーグで本塁打王を競い合う時代。若き侍の活躍は誇らしい限りだが、本サイトの読者世代にとっての原風景は、やはり昭和プロ野球だろう。
野次が飛ぶ猥雑な雰囲気の球場で、豪傑たちが夜空を切り裂いてかっ飛ばす豪快なホームラン。
スタンドに紫煙漂った昭和のあの頃に思いをはせながら、今回は一時代を築いた名スラッガーを大特集。平成・令和とは一線を画す、昭和男が描いた夜空の放物線を改めて味わいたい。
まずは、やはり世界のホームラン王、王貞治(86)から。
通算868本塁打はもちろん、今なお世界記録。いくら大谷が怪物といえど、この数字を超えることは難しいだろう。
名うての“王キラー”として、阪神時代の5年間を1割3分5厘と封じ込めた江本孟紀氏が振り返る。
「甘い球は間違いなくスタンドまで運ばれる。1978年の開幕戦で打たれた満塁弾も、自信を持って投げた内角低めが、ほんの少し中に入っただけ。あの一発を浴びて思いましたからね。“この人を抑えられなきゃ、自分がダメになる”って」
江本氏のみならず、星野仙一や平松政次といった各チームのエース級が、巨人戦では目の色を変える。
己の存在証明を懸けて対峙する彼らを、真っ向勝負で粉砕する。それこそが王が王たる所以でもあった。
「引き分けに終わった80年4月19日の後楽園。10回2死満塁で王さんを三振に打ち取ったときなんて、精根尽き果てて思わず、へたり込んだもんね。投げる側を、それぐらいの気持ちにさせる選手が当時どれだけいたか、という話。そういう意味でも別格だよ」(前同)
別格という意味では長嶋茂雄(享年89)も、その一人。
江本氏が初対決の衝撃を「スイングの瞬間はフラッシュを浴びたようだった」と評しているように、ここ一番での尋常ならざる勝負強さ、集中力には、盟友・王でさえもが脱帽した。
「ミスターとの関係を問われると、王さんはいつも決まって“長嶋さんとの比較なんて、とてもとても”と謙遜した。常に人を楽しませようとする“心の余裕”と、狙った球を確実に仕留める勝負勘。それが両立することのすごさを一番感じていたのが、他ならぬ王さんだったのかもしれません」(スポーツジャナーリスト)