■捕手ならではの読みも鋭い野村克也
一方、その長嶋に強烈なライバル心を燃やしたのが南海の野村克也(享年84)。
通算657本塁打は、王に次いで堂々の2位。8年連続を含む本塁打王9回は、今なおパ・リーグ記録として輝きを放つ。
東映での対戦を経て、南海でも、その活躍を見てきた前出の江本孟紀氏はこう言う。
「昔のスラッガーに共通するのが手首の強さ。野村さんも体に巻きつけて“乗せて運ぶ”のが抜群にうまかった。それに加えて、あの人には捕手ならではの読みもある。対峙したときの怖さはそんなになかったけど、味方として、あんなに頼もしい人もいなかったね」
ちなみに、江本氏がプロ入りした当時の東映の看板選手といえば、張本勲(86)。その張本が3番に、4番には“月に向かって打て”の大杉勝男(享年47)が鎮座した。
「張本さん自身は、本来は長距離砲。外は流して、真ん中から内側は腹に乗せて思いきり引っ張った。かつて青田昇さんも“打者の理想形”と評されていたけど、体重移動に頼らず、その場で軸を回転するあの打ち方は、今の大リーグにも相通じる。いわば、最先端でもあったんだよ」(前同)
一方、4番の大杉は2度の本塁打王獲得後、ヤクルトでも主軸に。江本氏いわく、「豪快なようで打撃自体は繊細な人だった」という。
「当時のヤクルトでいえば、若松勉(79)も飛距離はスゴかった。パドレスの施設を借りていたアリゾナ・ツーソンキャンプでは、身長170センチもない彼が長いバットで軽々と柵越えをする姿に、向こうの選手らも手を止めて見とれていたほど。ひと頃のイチローみたいな感じだった」(前同)
一方、野村克也と並ぶ強打の捕手では、阪神・田淵幸一(79)。同じ法大の1学年後輩に当たる先の江本氏によれば、彼もまた「右打ちもできる器用さがあった」。
1975年には、13年連続で君臨し続けていた王から“定位置”を奪取。価値ある本塁打王にもなっている。
「かのミスターも、彼の持つホームランアーチストとしての天賦の才を絶賛。その後の“江川事件”で立ち消えになりましたが、巨人から阪神へは水面下で都合3度もトレード話が持ちかけられたといわれます」(前出のスポーツジャーナリスト)
また、その田淵と並ぶ“法大三羽烏”の1人、広島・山本浩二(79)も、初戴冠の78年以降、本塁打王4回。不動の4番打者として座り、高橋慶彦や衣笠祥雄(享年71)が切れ目なくつながる歴代の“赤ヘル打線”を牽引した。
「広角打法の浩二さんはバットコンロールに関しては田淵さん以上。しかも、直後の5番には常に水谷実雄が控えていた。今で言うなら、佐藤輝明(27)の後ろに、いいときの大山悠輔(31)がいるようなもの。衣笠さんも内角打ちはめっぽううまかったし、投げる側からしたら、あの並びは厄介で嫌だったね」(江本氏)
このあたりのレジェンドたちは、メジャーでも十分に通用したかもしれない。
【後編】ロッテ・落合博満や南海・門田博光など、忘れられない和製大砲は、まだまだいる。後編では、彼らの打球の凄さも再検証する。《【後編】はこちらから》
江本孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球選手として活躍後、現在はプロ野球解説者として活動。クラブチーム「京都ファイアーバーズ」の立ち上げや、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選に出場するなど、野球界の底辺拡大と発展に尽力。著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)はベストセラーとなる。