■“雑草魂”の掛布雅之とエリートの原辰徳が盛り上げた伝統の一戦

 他方、同時期のセ・リーグでは、ドラフト外から成り上がった阪神・掛布雅之(71)と、野球エリートの巨人・原辰徳(67)が前後して台頭。両軍の4番打者が牽引する形で“伝統の一戦”は、新たな局面へと突入する。

 阪神時代に、巨人のスラッガーたちを封じ込めた江本孟紀氏が振り返る。

「掛布は、浜風の甲子園では流し打てば入る、ということを途中で覚えた。体重移動が少ないフォームは張本さんに近い。内角低めに強かったのは、同じく得意としていた藤田平の影響もあったんじゃないか。

 対する原は、スランプの印象がどうしても付きまとうが、抜け球を狙い打つのが抜群にうまかった。吉村禎章が大ケガをしていなければ、原も成績をもっと残せた気もするね」

 そして、昭和の最後を飾ったのは、バブル景気の到来とともに一躍、流行語ともなった“新人類”たち。

 潤沢な“堤マネー”を持つ西武からは、秋山幸二(64)や清原和博(58)がブレイク。外国人助っ人にも勝るとも劣らない圧倒的な活躍で、黄金期を築き上げた。

 秋山とは同学年の前出の愛甲猛氏は、こう話す。

「アキの飛距離はイースタンにいる頃から一人、頭抜けていた。打球角度こそ違ったけど、ヤツの言う“腰のひねりで打つ”は、田淵さんも同じことを言ってたしね。トータルの能力値があまりにも高すぎて目立たないだけで、引っ張ったときの打球は、ゆうに清原以上だったんじゃないかな」

 一方、まるで、その秋山に嫉妬するかのように飛距離を追い求めるようになったのが、昭和最後の天才打者・清原だろう。

 高卒1年目にして、かの落合に「どこまで伸びるか、末恐ろしい」とまで評された強打者はしかし、筋肉に魅せられて次第に迷走。巨大化する肉体と反比例するように、成績は下降した。

「日本人の右打者でライト上段の看板に当てられるのなんて、キヨぐらい。なのに、飛距離ばかりを追い求めるようになって、90度の中ならどの方向にでも、とんでもない打球が打てる、という良さを自分で消してしまった。あれは本当にもったいなかったよね」(前同)

 思えば、昭和のスラッガーは総じてアスリートとは似て非なる“プロ野球選手”。我々が今も愛してやまない理由は、そこにある。

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愛甲猛(あいこう・たけし)
1962年生まれ。神奈川県逗子市出身。横浜高校時代、夏の甲子園に2度出場し、“甲子園のアイドル”として絶大な人気を誇る。80年にドラフト1位でロッテに入団し、84年から野手に転向。89年には打率3割をマークし、一塁手としてもゴールデン・グラブ賞を獲得。西武時代の秋山翔吾に破られるまで、愛甲の535試合連続フルイニング出場がパ・リーグ記録だった。96年に中日に移籍し、2000年に現役引退。現在は野球評論家として活躍中。

江本孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球選手として活躍後、現在はプロ野球解説者として活動。クラブチーム「京都ファイアーバーズ」の立ち上げや、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選に出場するなど、野球界の底辺拡大と発展に尽力。著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)はベストセラーとなる。