■“運動能力”は母親の影響を強く受ける
「一般的に人間の遺伝情報は両親から半分ずつ受け継がれますが、身体を動かすためのエネルギーを作り出す『ミトコンドリア』という細胞内器官には、独自のDNAが存在します。このミトコンドリアDNAは、実は精子からは持ち込まれず、卵子、つまり母親からしか遺伝しないという性質を持っているのです。
ミトコンドリアはいわば体内の“エネルギー産生工場”で、筋肉を動かすエネルギーの代謝や持久力に関わる能力は、母親の影響を強く受けると考えられています」
身体的な特徴は母親の遺伝を強く受ける──。しかも、妊娠中の行動も子どもに影響を与えるそうだ。
「日本では“妊娠中は安静に”という風潮がありますが、欧米諸国では妊婦も体を動かす傾向にあります。実は欧米の研究では、“日常的に運動習慣のある母親が、妊娠期に適度に動き続けていた方が、生まれてくる子どもが活発になる”という、後天的な遺伝への影響が確認されているのです。
これは、妊娠中に運動することでDNAに化学物質の修飾がかかり、遺伝子の発現を変え、子どもの運動能力に影響を及ぼすという研究です。日本ではあまり推奨されていないかもしれませんが、それまで運動していた人が妊娠したからといってやめる必要はないでしょう」
“隔世遺伝”といった言葉があるように、両親より祖父母の遺伝を受けるケースも聞かれるが、福教授は「祖父母の影響が孫世代に出てくる可能性は、両親に比べると極めて低いです」とも解説する。
ここまでの話を聞くと、やはり親から受け継いだ“優秀な遺伝子”が人生を左右すると感じる人もいるかもしれない。しかし福教授は、人類は多種多様な遺伝子を持つことで生き残ってきた種だと締めくくる。
「何が適した遺伝子なのかは、社会や環境、時代によって変わります。かつて飢餓が多かった時代には、少しの食事でエネルギーを蓄えられる遺伝子である“倹約遺伝子”が、生き残るために最も“優秀”とされていました。しかし、飽食の現代ではその倹約遺伝子が肥満の原因となり、健康面で不利だと判断されてしまいますよね。
そもそも生物学的に最も重要なのは、集団の中に様々なタイプが存在する“多様性”です。背が高い・頭が良いなど、“優秀な遺伝子”として同じ属性の人間だけだと、想定外の環境変化や新しい感染症が蔓延した際には全滅してしまうリスクがあります。多様な遺伝子配列の人間がいれば生き残る集団も出てきますし、いろいろな性質・体質の人が社会に存在していること自体が、人類が生き残るための防衛策なのです」
W杯もいよいよ終盤、ハーランド選手の驚異的なプレーはあと何試合観られるだろうか――。
(※編集部注、妊娠中の運動の可否や適切な運動量については、個人の体調や経過によって異なるため、必ず主治医の指示に従ってください)
福典之(ふく・のりゆき)
順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科教授。2024年より現職。スポーツ遺伝学、スポーツ生理・生化学が研究分野。スポーツと遺伝を主な研究テーマにしている。特に、Athlome Consortiumをはじめとする国内外の研究ネットワークに参画し、日本人および多様な集団を対象とした国際共同研究を展開している。これらの研究で得られた知見を、個別化トレーニングや栄養摂取法に応用することを目指し、スポーツ遺伝学の学問的発展と社会実装に取り組んでいる。