■日本の強さを示したブラジルの喜びぶり
田中碧選手は試合後に泣いていましたが、最後の失点は彼一人の責任ではありません。確かにボールを失ったかもしれないけど、周りがもっとサポートしてあげてほしかった。そもそも、日本にとって危険な場所でボールを奪ったのは田中選手です。あそこでけっこうな力を瞬間的に使ったわけですから、助けてあげてほしかったです。田中選手がやろうとしたことは、間違っていないんです。
でも、みんな、よく頑張ってくれました。試合後には、みんなが涙を流していて、悔しさは残るとは思いますが、一人一人の頑張りを分かっているからこそ、誰も責めるなんてことはありません。ドーハの悲劇のときも、そうでした。必死で戦って、それでも負けてしまったことは、サポーターも分かってくれています。
試合後のブラジル代表選手の喜び方を思い出してください。感情を爆発させたかのようなあの喜びぶりこそが、王国・ブラジルを公式戦の舞台で苦しめた何よりの証拠で、日本の強さを世界に知らしめた事実だと思います。
今度こそ、日本は新しい景色を見ることができると思います。結果は出せませんでしたが、今回のチームは夢を見せてくれました。近い将来の、さらなる躍動に胸が高鳴ります。
ラモス瑠偉(らもす・るい)
1957年2月9日生まれ。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ出身。77年に来日し、読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)でプレー。攻撃の核として5度の日本リーグ優勝に貢献し、得点王を2回、アシスト王を3回獲得した。93年にスタートしたJリーグでもヴェルディ川崎の中心選手として活躍。チームを初代王者、さらに連覇に導くとともに、自身は2年連続でベストイレブンに選出されるなど、Jリーグの草創期を支えた。89年に日本に帰化して日本代表でもプレー。司令塔としてアジアカップ初優勝をもたらし、94年W杯予選でもチームをけん引したが、あと一歩というところで本大会の出場権を逃した。98年に現役引退。指導者としては古巣の東京VとFC岐阜で指揮を執り、ビーチサッカー日本代表の監督としてW杯で世界を凌駕する活躍を見せた。国際Aマッチ通算32試合1得点。2018年、日本サッカー殿堂入り。
ラモス瑠偉公式サイト:http://www.ramos.jp/
(本連載取材協力:KAKU SPORTS OFFICE)