教科書には載っていない“本当の歴史”──歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 葛城皇子(かずらぎのおうじ)(中大兄皇子)は大化の改新のクーデターで専制著しい豪族の蘇我入鹿を討ち、この国を天皇中心の体制へ導いたとされる。後に天智天皇として即位する。ところが、それまで3回、即位の機会があったにもかかわらず、葛城は天皇になろうとせず、実際に即位したのはクーデターから23年たった668年。古代史の大きな謎の一つとされている。

 その理由の一つに当時の「即位ルール=即位可能年齢40歳」があった。通説どおりなら、クーデター後に蘇我氏の専制を許したという理由で、母の皇極天皇が退位した際(1回目)にはまだ20歳。そこで叔父の孝徳天皇が49歳で即位したものの、10年後に崩御(2回目)。葛城は30歳だったため、母が再び即位して斉明天皇が誕生する。そこまでは当時の「即位ルール」にしたがったものとして理解できる。

 その斉明の時代、朝鮮半島情勢が緊迫し、新羅と唐(中国)に攻められた百済からの求めで、斉明の朝廷は朝鮮へ出兵。天皇みずから筑紫へ出陣したが、その地で急死する。これが3回目の機会。このとき葛城は36歳で、わずかに40歳に届かないものの、非常時でもあり、即位すべきだった。ところが、それから8年間、天皇空位のまま葛城が政務を執った。これを称制といい、皇太子らが天皇の政治を代行することをいう。これが最大の謎だ。