■愛する女性との関係を重視

 諸説あるが、女性問題に焦点を絞ってみよう。クーデターで葛城が真っ先に入鹿へ斬りかかったという武張ったイメージからすると意外だが、葛城には愛する女性との関係を重視して即位しなかった疑いがある。

 その女性とは実の妹の間人皇女(はしひとのひめみこ)。孝徳天皇の皇后だった女性だ。孝徳も生前、葛城と妻との関係に気づいており、詳細は省略するが、孝徳の残した和歌から兄妹の尋常でない関係が窺える。この時代、異母姉妹を妻に迎えるケースはあったが、相手が同母妹となると話は別。葛城が即位したら間人を皇后に迎えることはできないが、逆に未亡人の間人が女性天皇として即位したら、非婚が原則なため、関係を続けられる。

 実は『万葉集』と『大安寺伽藍縁起幷流記(ならびにるき)資財帳』にそれぞれ「中皇命(なかつみこのみこと)」、「仲天皇(なかつすめらみこと)」の記載があり、いずれも間人を指し、彼女が葛城の称制中に事実上の天皇という扱いを受けていた可能性が指摘されている。また、斉明が急逝したため、葛城は後継指名されず、実際には即位可能年齢まで届いていなかった負い目もあって、斉明と同じ女性皇族で天皇になる資格のある妹から後継指名を受けようとしたともみられる。

 当時、遺体を一定期間安置して死者の霊を鎮める殯(もがり)の習慣があり、間人が665年に死去し、2年間かけて、その儀礼を行ったあと、葛城はようやく即位するのである。

※参考文献 森公章著「天智天皇」、遠山美都男著「天智天皇」

跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。