■命を賭けた隆盛

 事実、隆盛は太政大臣・三条実美への手紙で「みだりに事を荒立てるつもりはなく、最善の努力を尽くす時であるから、どうか私を(朝鮮へ)差し遣わされたく」とあくまで平和的な使者に徹する覚悟を示している。

 ただ、それではなぜ隆盛は、板垣にご機嫌取りのような手紙を出してまで朝鮮への外交使節になろうとしたのか。いくつか理由が考えられる。まず、「ロシアの南下に備えて、そのルート上にある朝鮮と良好な関係を築く必要があり、そのためには外務卿クラスの使節では心もとないと考えた」こと。次いで「留守政府を率いる立場として、内政を重視する大久保らと政策上の隔たりが大きくなり、朝鮮使節を最後に政界から引退する覚悟だった」などなど。

 しかし隆盛が征韓論者でなかったにせよ、彼が手紙に書いた通り、朝鮮で暴殺されたら戦争のリスクを伴う。その場合、朝鮮との戦争に士族を動員し、彼らの不満を解消する──隆盛は命を賭け、二段構えでこの問題への対処を考えていたのだろう。

跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。