教科書には載っていない“本当の歴史”──歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
徳川家康の外交顧問となったイギリス人ウイリアム・アダムズ(日本名・三浦按針(あんじん))は、彼を主人公のモデルとした『SHOGUN 将軍』のヒットで注目されたが、彼とともに日本に漂着したオランダ人ヤン・ヨーステンは、日本での日記などの史料があまり残っていないこともあって、意外に知られていない。
イギリス東インド会社艦隊司令官が平戸へ来航した際、その応対に現れたアダムズを見て「日本に対して称賛と愛情を抱くあまり、日本人になりきってしまったように我々の目には映った」という感想を漏らした一方、平戸のイギリス商館長によると、ヨーステンは日本語を巧みに話すものの、イギリス人がいる前でも彼らが日本語に堪能でないことをいいことに、「オランダ国王は他の欧州諸国の国王を従えている」などと虚言を弄したという。
当時、イギリスはオランダと貿易競争を繰り広げており、したがって、その話をすべて鵜呑みにはできないが、ヨーステンが大風呂敷を広げる癖があったのは事実のようだ。
彼はデルフトの名家に生まれ、長じてロッテルダムの東方貿易会社がアジアとの交易に派遣したリーフデ号の乗組員となった。ところが、船は難破して慶長5年(1600年)3月に日本に漂着。アダムズとともに江戸城へ招かれ、家康から邸と50人扶持(一説には1000石)の待遇を賜り、日本人妻を娶って娘をもうけ、日本名・耶楊子(やようす)を称した。