■日本に根付いた考え
その一つが養蚕事業。鷹山は生活費の一部を養蚕事業に充て、夫人のお豊の方も隠居所で農家の女性に蚕を飼わせ、女中たちに機織りを習わせて率先した。こうした取り組みは、米沢織を藩の代表的な特産品へと育てることにつながった。
これら改革の結果、彼が72歳で死去した際、米沢藩の借財は、ほぼなくなっていたという。
そして、鷹山が隠居した際に国を治める心構えを「伝国の辞」にまとめ、歴代藩主に受け継がれた話は有名だ。特に「国家(藩)は、祖先から子孫へ受け継ぐものであり、藩主個人の私物ではない」(現代訳)という一条はよく知られている。しかし、鷹山より1世紀以上早く生まれた儒学者で兵学者の山鹿素行(やまが・そこう)が、「君主とは、天下のすべての人民のために存在する者であり、自分一人の利益や都合のために存在するのではない」(同)という言葉を残していた。
また、もう一つ鷹山が残した有名な「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」は、これによく似た歌が武田信玄の作として伝来し、その影響を受けた可能性があるともいわれる。
だが、鷹山が先人の名言を我が物にしたかどうかより、戦国から江戸時代に、そういう考えが日本に根付いていたことこそが重要だろう。
跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。