■35年前に感じた愛国心の葛藤

「日本代表の重みが全然、分かっていない」と私は葛藤がありましたけど、「日本のために」「みんなのために」という愛国心を突き詰めていこうと決意し、自分なりに積極的にアクションを起こしていったんです。

 残念ながら、この大会はサウジアラビアに負けて、グループリーグ敗退してしまいましたが、91年のキリンカップの時は「本気で勝とう」と士気を高めました。この時はバスコ・ダ・ガマ、トッテナム、タイ代表との対戦。バスコはブラジル代表候補選手が何人もいて、本当にレベルが高かった。当時の日本代表は海外のクラブチーム相手に勝った経験が少なかったので、ボールを持つことを怖がる選手もいましたけど、「自信を持とうよ」「みんなで顔出してボールを受けようよ」と声をかけ、意識を変えていくように仕向けたんです。

 正直なところ、「このうるさいやつは一体、何なんだ」と思った選手もいたかもしれません。でも、そういう人材が必要だと考えたからこそ、横山さんは私やカズさんに声をかけてくれました。日の丸を背負ってプレーする場所を与えてくれたという意味で、まさに『大恩人』です。そういう人に恩返ししたいと考えて頑張った結果、キリンカップで初優勝することができた。ようやくプロ意識がチーム全体に浸透し始めたと手ごたえを感じました。

 今から35年も前の話ではありますが、そういう原点があったから、日本代表は高度なプロフェッショナルな集団へと成長していった。そのことを忘れないでほしいですし、そういう原点を今の選手たちにも引き継いで堂々と戦ってもらいたいと思います。

ラモス瑠偉(らもす・るい)
1957年2月9日生まれ。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ出身。77年に来日し、読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)でプレー。攻撃の核として5度の日本リーグ優勝に貢献し、得点王を2回、アシスト王を3回獲得した。93年にスタートしたJリーグでもヴェルディ川崎の中心選手として活躍。チームを初代王者、さらに連覇に導くとともに、自身は2年連続でベストイレブンに選出されるなど、Jリーグの草創期を支えた。89年に日本に帰化して日本代表でもプレー。司令塔としてアジアカップ初優勝をもたらし、94年W杯予選でもチームをけん引したが、あと一歩というところで本大会の出場権を逃した。98年に現役引退。指導者としては古巣の東京VとFC岐阜で指揮を執り、ビーチサッカー日本代表の監督としてW杯で世界を凌駕する活躍を見せた。国際Aマッチ通算32試合1得点。2018年、日本サッカー殿堂入り。
ラモス瑠偉公式サイト:http://www.ramos.jp/
(本連載取材協力:KAKU SPORTS OFFICE)