■「キムタクは何をやってもキムタク」になった歴史的経緯
木村は、1990年代中頃から放送された主演ドラマが次々にヒット。96年、初主演を務めたフジ月9ドラマ『ロングバケーション』の平均視聴率は29・6%。
翌97年の『ラブジェネレーション』(フジテレビ系)で30・8%を叩き出すと、2000年『ビューティフルライフ』(TBS系)32・3%、01年『HERO』(フジテレビ系)34・3%、03年『GOOD LUCK!!』(TBS系)30・6%と30%超えも連発し、一時代を築いた。
その売り出し方は、かなり特徴的だった。
「木村さんは主演ドラマ以外のテレビ露出が少なかった。SMAPのレギュラー番組『SMAP✕SMAP』(フジテレビ系)以外の番組に出るのはプロモーションの時ぐらい。“もったいぶった売り方”をすることで、そのカリスマ性を高めましたよね」(民放キー局関係者)
テレビドラマ評論家・吉田潮氏は、当時のキムタク人気をこう振り返る。
「テレビが元気で、娯楽の選択肢は今ほど多くない時代。キムタクの人気がすごい!となったら、どんな業界も一点集中で儲けようとしたものです。キムタクが着用した洋服は爆売れしたし、髪型を真似する男性も続出した。結果的にキムタクのおかげで、多くの流行が生み出されました。さらにバラエティなどでSMAP人気が国民的になって、キムタクが神格化された。局の扱いも違いましたね。
視聴率の高さは脚本や松たか子(46)、堤真一(59)といった共演者に恵まれた部分もあると思うけど、存在が唯一無二なのは確か。当時ジャニーズでは一人称を“僕”と言うアイドルが多いなかで、キムタクは“俺”と言った。
そのキャラは新鮮で、“俺についてこい”的なイメージがそのままブランド化されたわけです。役も“口のきき方はなってないけど、才能がある”みたいなのが多い。“キムタクは何をやってもキムタク”と言われる所以です」
一方、目黒は必ずしも“もったいぶった売り方”ではない。前出の民放キー局関係者はこう話す。
「Snow Manは当初、同時デビューのSixTONESより注目度が低く、“抱き合わせ”と揶揄されたこともありました。しかも目黒さんは、Snow Manのデビューに伴う追加メンバーで、人気がどう転んでいくかは未知数だった」