リアルな顔がプリントされたお面を、瞬時に次から次へと軽快に変え、さらに笑いも取る――。7月、とにかく明るい安村(41)が大活躍した『ブリテンズ・ゴット・タレント』のアメリカ版、人気オーディション番組『アメリカズ・ゴッド・タレント』(以下、AGT)シーズン18に出演すると、またたく間にその存在が世界中に知れ渡った、「変面パフォーマンス」を行なうEnishi(縁・えにし、37)さん。現在オファーひっきりなしな状態で、8月20日にはダウンタウンの松本人志(59)と中居正広(51)の大人気トークバラエティ『まつもtoなかい』(フジテレビ系)にも出演。
番組では×××××××××な活躍を見せてくれて、さらに話題沸騰中だ。「人生が一気に変わった」と話すEnishiさんに、メディア初のインタビューを敢行!(#1、2のうち2)
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――変面パフォーマンスを行なう前、芸人時代のことをお聞きしたいです。
Enishi 東京の大手事務所に所属して、ガチガチの漫才をやっていました。相方が自由自在におならを出せる人間で(笑)、おならネタで『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)やお正月の漫才特番、『「ぷっ」スマ』(テレビ朝日系)にも出させていただいて、でも、どうしても漫才で売れたかったんです。全然ダメでしたけどね。
――いつから芸人をやっていたんでしょうか。
Enishi 高校3年生のとき、17歳からやっていて、コンビは大学卒業と同時に結成して、30歳のときに芸歴13年目で解散しました。『M-1グランプリ』にもチャレンジしましたが、13年やって最高2回戦ですからね、もう辞めたほうがいいですよね。
――では、バイトをしながらずっと芸人を続けたんですね。
Enishi そうですね。だから就職したことがなくて、ずっとお金がない人生を歩んできたんです。水道の蛇口がない家や、家賃4万円の家に住んでいました。
住んでいた東京・蒲田から渋谷まで、自転車で2時間かけて通っていたこともあります。電車に乗るお金がなくて、260円ほどなんですけど。それくらいお金がなくて。それが30歳まで続いていたんです。
――30歳まで芸人を続けていたモチベーションは、どんなところにありましたか?
Enishi 妬み嫉みや悔しさ、だったと思います。まわりの恵まれた生活をしている人たちに対して、「いつか必ずひっくり返してやる!」という気持ちを原動力にしていました。
――怒りなどをエネルギーにするお気持ち、よくわかります。
Enishi でも、30歳の僕はすべてにストレスを感じていて、それがいきすぎてしまって。数少ない僕をかわいがってくれていた先輩の、もりやすバンバンビガロさん(39)という芸人から、それまではずっと「絶対に売れるから、続けるのが一番いいことだよ」と言ってくれていたのに、30歳の僕と会ったときには「おまえは、このままじゃなにをするか分からないくらい、人が変わりすぎている。頭を冷やすまでおまえとはもう会えない」と言われるほどでしたね……。
――怒り、不満が充満して……コップの水があふれんばかりの状態だったんですね。
Enishi そうだったんだと思います。でも、そのあと好転するんですよ。あるとき、結局自分は、他人や他に救いを求めているのでは、と感じる大きな出来事がありまして……その時、「僕は自分を信じていたのか? 自分を信じきれなかったから、負の感情ばかりの状態になっていたのではないか?」と気づいたんです。
それで30歳前後で、芸人を続けるか社会人になるか……すごい考えた結果、「カネさえあれば芸人が続けられる!」と思い、コンビを解散して会社を立ち上げました。