■“空白の2年”と“乃木の帰国”が被っている

「長野専務は防衛大出身で、一橋大学の大学院に進学するまでに2年間の空白期間がありました。この空白期間が“別班では?”と疑われた理由でしたが、長野専務は“薬物に手を出してしまい、空白期間に大分県の更生施設『豊前中津園』に入っていた”と証言し、裏付けも取れたため疑惑が晴れた。

 でも、やっぱり怪しいと――。そこで言われているのが、“別班ではないが、乃木に大きく関係している人物”という説です」

 乃木は1984年(当時3歳)にバルカ共和国で内紛に巻き込まれ、両親(林遣都/32と高梨臨/34)と生き別れる(※)。その後、人身売買され悲惨な境遇に陥っていたが、幸運にも戦場ジャーナリストの“飯田さん”によって救助される。乃木が帰国したのは1987年で、同年4月に舞鶴小学校に入学したことが、これまで明らかになっている。

【※父・卓は生き延びており、テロ組織『テント』の創設者ノゴーン・ベキ(役所広司/67)となっている】

 一方で、長野が更生施設に入所していた空白期間は、1985年4月~1987年3月。乃木が救助された年代と合致しているのだ。それを受けて、

《乃木さんを救出したジャーナリストは長野専務説推してたけど乃木さんお名前覚えてたから馬場さんでは!回想で出てくるのでは?うーんまさか小日向さんの若い頃とか》
《長野専務取調べの時の表情からも何かありそうだったから、可能性としてはありえそう!》

 といった声が、SNSにも寄せられている。

 小日向文世と馬場徹の実年齢が34歳差であることも手伝い、“40年前のジャーナリスト・飯田=現在の長野専務”説が言われているのだ。

「長野専務は薬物に手を出した理由について、“厳しい自衛隊の訓練で精神的にボロボロだったから”といった供述をしていました。

 でも実は、“薬物中毒で更生施設に入っていた”という点だけは事実で、防衛大卒業後、“ジャーナリスト”として内紛が起きているバルカを見に行った。そこで見つけた乃木を助けた。しかし、その際、現地組織に捕まってしまい、彼への拷問で薬物が使われた。なんとかそこから逃れ帰国したが、薬物依存になっていた――そういう展開も考えられると……」