著名人を毎月1か月間特集し、その人生を書き紡いでいく日本経済新聞の名物連載『私の履歴書』。政財官民の一流人が登場するとあって、出演は業界トップランナーの証左でもある。その連載が財界の耳目を集めたのは11月のことである。
「今年4月に退任した、黒田東彦(くろだはるひこ)前日銀総裁が登場したんです。任期が5年の日銀総裁を2期務めたのは、第20代総裁である山際正道氏以来。山際氏が総裁を退任したのは1964年12月ですから、59年ぶりのことでした。
10月の同連載に登場したのも同じく金融業界の三井住友信託銀行の高橋温名誉顧問。同業界の人物を2か月続けて『私の履歴書』で特集するのは異例中の異例だし、退任後、初となる黒田総裁の言葉は大きな話題になりました」(全国紙経済部記者)
11月1日掲載の第1回は、13年2月21日に当時アジア開発銀行の総裁室にいた黒田氏へと、安倍晋三元首相から「日本銀行総裁の後任として、黒田さんを指名したい」と電話が掛かってきたところから始まる。当時の黒田氏は、安倍氏との面識は片手で数えるほど。前年にはアジア開発銀行の総裁として3選を果たしたばかりだった。
「黒田氏も連載内で明かしているように、驚きの人事だったのは間違いありません。本人も安倍元首相から指名を受けた際には戸惑ったと、明かしています」(前同)
10年に及ぶ黒田日銀体制を経済ジャーナリストの荻原博子氏が解説する。
「安倍さんの指名を受けて、日銀総裁に就任した黒田さんは、政権の方針に歩調をあわせるかのように、金融緩和を進めていた印象です。当初は2年以内に2%の物価高を目標とした改革でしたが、任期中には達成できませんでした。
物価上昇に比例する形で、賃金引き上げを目論んでいましたが計画は破綻。日米金利差が広がり、円安が進んだことで国民生活が苦しくなった。そんな10年間だったと思います」
一方で、官僚らしからぬ側面も黒田氏は持ち合わせていたのでは、と萩原氏は話す。
「2年以内に2%の物価上昇と断言するスタイルは、“物言う”総裁とのイメージが広がり斬新でした。保守的な組織である日銀では、目立った存在だったのではないでしょうか」