■違法薬物で長男逮捕の過去
そんな黒田氏は、福岡県で生まれた。海上保安官の父の転勤に伴い小学5年生で上京。その後、東京教育大学付属駒場中学校(現・筑波大学付属駒場中学校)へと入学する。
「世田谷区に住んでいたので地元の多聞小学校に通っていたのですが、教駒に受かったのは黒田が初めて。塾なんて当然、行っていませんよ。教駒に合格する子は塾なんて通いません」(黒田氏を知る人物)
3クラスで160人ほどいる同級生のうち、7割ほどが東京大学へと進学する教駒では、後に衆議院議長の座につき、11月10日に亡くなった細田博之氏や、89年と90年に2年連続で『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務めた松平定知アナウンサーとも机を並べた。当時を知る同級生が話す。
「同級生に黒田が3人いて、それで体育の先生が大・中・小と呼び分けていたの。東彦は勉強はできたけど運動はからっきし。体育の時間は“小さい黒田、なにしているんだ”と、よく怒鳴られていましたね」
そんな黒田氏は部活動でも苦い思い出が。
「中学に入って、柔道部に入ったんだけど3日くらいで辞めたんじゃないかな。“体がついていかない”って漏らしていたよ」(前同)
その後も、松平アナがアナウンス部長を務めた放送部への入部を試みるも、教育ママだった母親に阻止され悲願ならず。それでも、学業に専念した甲斐があってか東京大学へと現役合格を果たす。
「東大に入るなんてのは当たり前だったね。同級生、皆が東大に行くんだから。ご飯を食べるような感覚ですよ。東彦も大してすごいと思ってないんじゃないかな」(同)
大学在学中には、司法試験と国家公務員1種試験(現・国家公務員総合職)のダブル合格を果たし、大蔵官僚としての道を選んだ黒田氏。72年7月に福島県・いわき市へと税務署長として赴任したのを機に結婚する。順風満帆かに思えるキャリアを築いた黒田氏だが、思わぬ落とし穴が。
「97年5月に南青山の路上で、2人いる息子のうちの長男が違法薬物の所持・使用で逮捕されたのです。出世レースでもトップを走る官僚の不祥事に省内は大騒ぎとなりました」(前出の黒田氏を知る人物)