■一橋大学では学生に交じって学食を食べ……
それでもキャリアを重ね、2か月後には財務省国際局の局長に抜擢される。すると、2年後の1999年7月には財務事務次官や国税庁長官と並ぶ、省内のトップポスト・財務官へと昇進を果たす。
「03年1月に財務省を退官。その年の7月から、一橋大学大学院で教鞭をとりましたが、その時が一番楽しかったそうです。“学生と一緒に勉強をして本を読んで、学食を食べるのが楽しい”と話していました。同窓会に一切出席しなかった細田とは違い、東彦は社交的なんです」(前出の同級生)
05年2月からアジア開発銀行の総裁に就任。3選を果たした翌年に、安倍元首相から電話が掛かってくるのである。
「マニラ時代はボランティア活動にも熱心に取り組んでいました。恵まれない子へのチャリティーオークションに夫妻で出席することも度々。同級生にもメールで“フィリピンに来ることがあれば寄ってね”なんて連絡しており、自由を楽しんでいたようですよ」(前同)
連載『私の履歴書』の最後では、7月から政策研究大学院大学の特任教授に就き、24年1月からは米コロンビア大学でも講義を持つ意向を明かした黒田氏。『私の履歴書』では明かされない、裏履歴は波瀾万丈だったのだ。
萩原博子
経済ジャーナリスト。長野県出身。明治大学文学部卒業。
テレビやネット番組のコメンテーター、解説者、パネリストとしても活動している。『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)や『朝まで生テレビ!』(同局)などの討論系バラエティにも、積極的に出演している。