「あれ以上、有名な写真家は今後、出てこないんじゃないでしょうか」
そう、嘆息混じりに明かすのは、1月4日に83歳で死去したカメラマン・篠山紀信さんの弟子、篠原潔さんだ。
1980年11月にリリースされた、ビートルズのジョン・レノンの遺作『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真や、91年1月に出版された女優・樋口可南子(65)をモデルにした写真集『Water Fruit 不測の事態』(朝日出版社)。そして、宮沢りえの『Santa Fe』。数々の名作を世に生み出した天才カメラマンが83歳にしてこの世を去ったのは、1月4日のことだった。
篠原さんは2000年から03年までの3年間、赤坂にある篠山紀信の個人事務所でアシスタントを務め、徳江かな(25)の『かなでうた』(双葉社)や緒方友莉奈(30)『火の国の女』(双葉社)を手掛けるなど、カメラマンとして活躍している。
「先生は“俺は天才だ”というタイプで、服装もアルマーニやエルメスといった派手なハイブランドを好んで着ていました。
年に2回はハワイロケを行なっていたのですが、撮影場所に汚い廃墟を使うことも。それでも、お昼になれば、テーブルにはクロスを敷いて綺麗な花を生けた花瓶を置く。料理人がケータリングを運んできた料理を前に、赤ワインをごくりと飲んで撮影するわけですから、大胆な人でしたね」(篠原さん)
91年11月には、当時トップアイドルだった宮沢りえ(50)の写真集『Santa Fe』(朝日出版社)を発表。発売前には宮沢のありのままを晒した姿が、朝日新聞にも全面広告で掲載されて、日本中の話題を集めた。
『Santa Fe』は、写真集としては前代未聞となる165万部超えの大ベストセラーとなり“、社会現象にもなった。この作品を篠山さんはどのように捉えていたのか。
「撮影には“エイトバイテン”と呼ばれる縦に20センチ、横は25センチもある大きなフィルムを使用していたそうです。フィルムが大きい分、当然カメラも大きくなる。カメラに入れられるフィルムの数も2枚までと限りがあります。
撮影中のフィルム交換も暗室でやらなければなりませんし、手間がかかる。篠山先生も“あの仕事は大変だったがとても撮りごたえがあった、あれほど読者を驚かせられた仕事は他にない”と、事あるごとに口にしていましたね」(前同)