今年、結成40周年を迎えた「たけし軍団」。師匠であるビートたけしと歩んだ破天荒な道のりは、今なお芸能史に燦然と輝く。

 ガダルカナル・タカ(66)、つまみ枝豆(64)、ダンカン(64)の三者に、コンプライアンスなど“どこ吹く風”な昭和テレビの舞台裏を聞いた――。

■たけしさんが酒を飲みながら芸名を考えてくれた

―—軍団さんといえば、“強烈な芸名”。まず、芸名の由来を教えてください。

枝豆 軍団のインパクトのある芸名は、たけしさんの「売れたときに恥ずかしい名前にしよう」ってコンセプトが反映されているんです。僕が今の名前になったのは25歳ぐらいのときなので、40年前の話ですね。

タカ 最初、「ダンカンの名前を変えよう」って話が持ち上がったんだよね?

ダンカン 元々、俺は落語家の立川談志師匠の弟子で、“談”の字に、ひらがなの“かん”を足して、“立川談かん”を名乗っていて、軍団に移籍後も、その名をしばらく使っていたんですよ。タカ それで、「いつまでも談志師匠の名前を引きずるのはな…」ってことで。それならついでに、軍団全員の名前も変えようって。

枝豆 たけしさんが酒を飲みながら芸名を考えてくれるんですけど、これがとんでもなくて(笑)。

タカ たとえば、テーブルの上にあったおつまみの枝豆を見ながら、「枝豆っていう名前はどうだ?」とか。

枝豆 どんどんひどい名前になりそうだったから、「枝豆」と言われた瞬間、「僕、いただきます!」って手を挙げたんです。そしたら、「苗字もあったほうがいいだろ?」って“つまみ”を足して、僕は“つまみ枝豆”になりました。

――タカさんは?

タカ たけしさんが俺をマジマジと見て、「お前は、映画に出てくる日本兵の生き残りみたいな顔してるな」って言って。それで「生き残りと言えばガタルカナル島だろ」ってことで、“ガタルカナル・タカ”です。

――すごい由来ですね……。

タカ ダンカンは“ねずみ男”と“ふんころがし”から、“ふんころがし”を選んだんだけど、ある事件がきっかけで、元に戻されたんだよね?

ダンカン 軍団が後楽園球場で野球の試合をする番組があって、球場の電光掲示板が4文字表示で、“がし”が入らなくて、“ふんころ”で表示されたんですね。

――締まらないですね(笑)。

ダンカン でも、実況担当の長嶋茂雄さんは、「ふんころくんはシャープなバッティングですね~」って、そのまま解説してくれたんですよ(笑)。それを聞いた、たけしさんが「長嶋さんにふんころなんて言わせんな!」って激怒して、その場で元に戻されました。