■記者の前で大谷翔平が“唯一”饒舌になった日

 相手によって態度を変えず、まるで武士の様に振る舞う大谷選手。普段は報道陣からの質問も煙に巻く大谷選手が唯一、記者の前で饒舌になったのが、23年のシーズン開幕前に行なわれたWBCの際だという。

「開幕投手を務めた中国戦後のヒーローインタビューでは、翌日の先発が“ダルビッシュさんなので援護できるように頑張りたい”と述べていますし、準決勝のメキシコ戦前には“決勝で中継ぎで行く準備をする”と報道陣の前でハッキリと口にしました。チームの戦術に関することですので普段の大谷選手なら絶対にしゃべらないような内容です。20年大会は怪我でWBCの出場を辞退していますし、同大会にかける思いのようなものがあったのかもしれません」(前出の柳原記者)

記者の取材に答える大谷翔平選手 写真/編集部

 現に、大谷選手はWBCの出場にあたって特注のスタジアムジャンパーを製作。背面にはJapanの文字とWBCのロゴが刻まれており強い思いを込めて大会に出場したことは明らかだ。

「周囲の期待に応えたいという思いは強くあるように思います。二刀流に関しても“周囲が環境を作ってくれたからできたこと。とても感謝している”と度々、話していますね。“二刀流を辞める日があるとすれば、それは需要がなくなった時”と話していることからも個人記録ではなく、チームのため、周囲のために頑張りたいという気持ちが根底にはあるのではないでしょうか」(前同)

 現在、メジャーリーグで3冠王も狙える成績を残す大谷選手。高校生の頃に思い描いた“特別な野球選手”になるという目標を達成できた理由は、個人ではなくチームのためという思いが大きく影響しているのかもしれない。

柳原直之
1985年9月11日生まれ、兵庫県西宮市出身。関学高を経て、関学大では準硬式野球部所属。08年に三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)入行後、転職し、12年にスポーツニッポン新聞社入社。遊軍、日本ハム担当を経て18年からMLB担当。大谷翔平を取材して11年目を迎える。