■遺族、画商、学者、鑑定士になる人は様々

 美術業界で扱われる美術品は鑑定士の鑑定書ひとつで、莫大な経済的な価値を持つこともあれば、ただの紙屑と化すこともあるというわけだ。作品の真贋を判断する鑑定士とはどのような人物が名乗るものなのだろうか。

「作家の遺族の方が鑑定士となるケースが多いです。パブロ・ピカソやマルク・シャガールは遺族が財団を作って作品の真贋を判定しています。他にも生前作家の作品を取り扱ってきた画廊の人間が、作家の死後に作品の鑑定士となることも珍しくありません。それ以外ですと作家の作品を研究していた学者でしょうか。絵や作家に対して豊富な知識があり、作家の描き癖などを熟知している人が鑑定士となります」(前出の高橋氏)

 熟練の経験を持つ鑑定士の目をも騙すベルトラッキの贋作。ここまで作り込まれた作品だと、プロである美術館の職員でも見抜けないものなのだろうか。

「両作品とも有名オークションを通じて世に出回り、画商の手へと渡ったもの。美術業界で有名オークションに出品される商品というのは、それだけでも価値がある。まさか、偽物が取引されるとは誰も思いません。ここまでの贋作を見抜くのは、描いた本人以外は不可能なのではと」(前同)

 自身もプロの画商として活躍する高橋氏も同情する、2つの県立美術館で起きた今回の贋作騒動。贋作が世に出回ることで、美術業界にはどのような影響があるのだろうか。

「贋作が世に出回ると、どれが本物でどれが偽物なのかわからなくなります。すると、その作家の作品の価値は落ちます。

 2021年に大阪の画商が、ラクダを描いた絵画で知られる平山郁夫などの贋作版画を大量に百貨店などへと売ったとして問題になりました。この影響で大手百貨店はこぞって版画の取り扱いを中止。かつては平山郁夫の版画であれば100万円〜200万円で百貨店にて販売されていましたが、今では価格が右肩下がり。版画専門の画商の中には、事業を続けていくことができないところも出ています」(同)

 世界最大のオークションの鑑定士すらも欺く贋作師、恐ろしすぎる……。

高橋芳郎
1961年、愛媛県出身。地元の高校を卒業後、1979年多摩美術大学彫刻科に入学。1983年、現代美術の専門学校Bゼミに入塾。1985年、株式会社アートライフに入社。1988年、退社、独立。1990年5月、株式会社ブリュッケを設立。その後、銀座に故郷の四国の秀峰の名を取った「翠波画廊」 をオープンする。主な著書に『「値段」で読み解く魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎)など。