■トヨタ自動車と鈴木選手が2人3脚で歩んだ日々

 東京大会からパリ大会までの3年間は鈴木選手だけでなく、所属先であるトヨタ自動車にとっても挑戦の日々だったようだ。鈴木選手が当時を振り返る。

「(マラソン競技)東京大会で優勝したのはスイスのマルセル・フグ(38、パリ大会でも優勝し3連覇)。彼のことはF1チームのザウバー(※スイスに本拠地を置くレーシングチーム)が支援している。そのことを大会後に豊田章男会長に伝えたところ“トヨタは自動車会社である前にモビリティーカンパニー。絶対にトップを目指そうよ”と、前向きなお返事をもらいました」(前出の鈴木選手)

 そこから鈴木選手とトヨタ自動車のパリ大会へ向けた打倒フグ、打倒ザウバーの挑戦が始まる。フグ選手が乗車するのはフルカーボン製の車いす。一方、それまで鈴木選手が乗車していたのはアルミなど他の素材も組み合わせたモデルだ。まずは車いすをフルカーボン製の物へと新調するところから挑戦は始まったという。

「1号機が出来上がったのは22年の12月。正直乗り心地は悪かったです。その後、出場した東京マラソンではフグ選手に手も足も出ませんでした」(前同)

 そんな鈴木選手と手を組んだのは、普段はレクサスなどの高級車を手掛けるトヨタの一流エンジニアたち。

「“選手からは好きに言ってもらったほうが良い”という言葉を開発チームの方からいただきました。その後に“出来るか出来ないかは別として改善しようとするのがエンジニアなんで”と。この言葉を聞く前はダメ出しをするのをためらっていたのですが、そこからは自分もどんどん、開発してもらったレース用の車いすに意見を出すようになりまして。最終的には車いすと自分の間で一体感が生まれる、体にフィットした物が完成しました」(同)

 パラパリ五輪で鈴木選手が使用した機体は、3回の改変を経て今年の2月に完成したモデルだ。

「レース用のモデルですので、ここで扱った技術がいきなり日常生活で利用されている車いすに転用されるわけではありません。しかし、開発は車いすメーカーの方とも協力して行ないましたし、レース用の機体を参考に、今後カーボン部品を日常生活で使われている車いすにも取り込んでいくという可能性はあるのではと」(同)

 2人3脚で3年越しに掴んだメダル。鈴木選手はパラメダリストとして、今後の自分には役割があると話す。

「パラスポーツが注目を浴びるのは良いこと。ただ、自分たちが結果を残せないと後進の道が開けない。選手としての活動だけでなく、私生活でも模範になれるように自覚して行動しないと」(同)

 鈴木選手の挑戦はまだまだ続く。

鈴木朋樹
1994年6月14日生。4歳から車いす陸上を始める。2021年大分国際車いすマラソンで1時間18分37秒のアジア記録を達成。パラリンピック初出場となった東京大会ではマラソン競技で7位入賞、ユニバーサルリレーで銅メダルを獲得する。2大会連続出場となったパリ大会では個人種目では初となる銅メダルを車いすマラソンで獲得。