■『源氏物語』に描かれた「汚物いじめ」

 このほかにも紫式部は他の女房から、陰口を叩かれている。その代表格が左衛門の内侍(ないし)という女房だ。

 一条天皇が紫式部の博識に感心し、「この人(紫式部)はあの難しい日本紀(『日本書紀』)を読んでいるようだ」と言ったのを聞くと、嫌みたっぷりに「紫式部はとっても学がおありなんですって」と宮中の公卿(くぎょう)らに言い触らし、「日本紀の御局(おつぼね)」というアダ名をつけた。

 このように後宮でのいじめは、いわば日常茶飯事。紫式部もこんな強烈ないじめシーンを『源氏物語』に書き記している。

 光源氏の母・桐壷の更衣(こうい、妃の一人)はミカドから寵愛(ちょうあい)され、他の后(きさき)たちから嫉妬を買っていた。

「桐壺の更衣が天皇の御座所へ召される際は、他の后たちの局(部屋)の前を通らないとなりません。そこで彼女らは、桐壺の更衣の通り道に汚物などを撒き散らします。桐壺の更衣に仕える女房たちの衣装の裾が、汚れるにまかせる状況だったと書いているんです」(跡部氏)

 宮仕え中、いじめ被害をうけていた紫式部だが、その一方で、いじめに加担したとみられる事件も起きている。

「“五節の舞”というイベントに、一度、女房を引退した左京の君が、のこのこ参加しているのを見て、“知らん顔はできないわ”と反応。女房同士で相談し合い、匿名で嫌みたっぷりな贈り物をするんです」(前同)

 その贈り物のひとつが、「櫛(くし)」だ。

「贈られた櫛は両端が合うほどに反り返っていましたが、平安時代、“反った櫛”は女性の盛りを過ぎたことを意味するものでした。式部も状況から見て、この“事件”に加担していたとみていいでしょう」(前出の跡部氏)

 現代なら、「オバサンは引っ込んでください」と遠回しに伝えるようなものか。

 平安時代の“女の園”恐るべし――。

跡部蛮(あとべ・ばん)
1960年生まれ。歴史研究家、歴史作家。古地図を持って東京都内などを歩く「江戸ぶら会」主宰。歴史関係や街歩きの著作のほか、雑誌のコラム等で執筆活動を行なっている。著書に『「わきまえない女」だった北条政子』、『明智光秀は2人いた!』(ともに双葉社)、『超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)など。