■『まつもtoなかい』は24年1月に打ち切るべきだったはず

 1月22日午後、フジテレビの準キー局・カンテレの大多社長が新年社長会見を行なったが、テレビカメラ6台、27社48人の報道陣が詰めかけた。希望する全メディアに開放されたこの会見は、16時30分のスタートから2時間10分に及んだ。

 大多社長は中居の女性トラブルを把握した経緯と当時の思いについて「ある種の衝撃を私は受けました。とにかくこれは、この女性のケア、プライバシー、人権、精神のケアというのを本当に“どれだけしっかりとやらなければいけない”というふうに強く思ったのを覚えております」と振り返った。

 また、「大変重い案件でありますので、これは社長には上げないといけない。僕までで止めとくこともですね、考えられなくもないですけど……。“知っている人が増えるということは避けたほうがいいのか”というような考えもありましたが」とし、トラブルは把握した当日に「私の判断で港社長に上げた。その日のうちに上げたような記憶があります」と明かした。

 トラブルの把握後も中居の番組を継続したことについては「『だれかtoなかい』が放送されるのは“どういうことなんだ”という話だけれど、(トラブル発生以降)2回改編の機会がありましたが、唐突に打ち切る手もあったと思うが、そういう動きが果たして彼女にどういう影響があるのだろうかとすごく考えていた」と告白。

「中居氏を守ろうとか、そういう意識はなかった」と断言し、それでも続けたことに「彼女(被害者)を守る最善は何かを考えた。“ズルズル(番組を)やってるじゃないか”、という厳しい指摘もわかっています。いつ(番組を)終わらせるのか、いつやめるのか、と常に頭の中にありました」と話した。

「港社長の会見に比べ、大多社長の会見は真摯さが感じられるものではありましたが、やはり“最大の疑問点”が残ったと言えるのではないでしょうか。中居さんの女性トラブルは当時フジテレビの専務だった大多社長が先に知ることとなり、当日に港社長にも“上げた”とのことですが、上層部が把握したのは23年6月初旬です。

 トラブル発覚後、中居さんが出演する番組をすぐに打ち切るのはたしかに不自然で、詮索されて被害女性に二次被害が及ぶ可能性もあったでしょう。ただ、港社長と大多社長の会見を受け、“じゃあ、何で24年1月に打ち切らなかったのか”と、多くのテレビ関係者があらためて疑問視しているんです」(前出のワイドショーデスク)

 港社長は会見で「中居氏が出演している番組『だれかtoなかい』については唐突に終了することで、臆測が生じることを懸念して慎重に終了のタイミングを図っておりました。プライバシーを守ること、体調面の配慮、中居氏側の認識、示談が進んでいたことから番組について難しい判断がございました」と説明していた。

「24年1月といえば、23年末の『週刊文春』(文藝春秋)に女性スキャンダルが報じられたダウンタウン松本人志さん(61)が対文春の裁判に注力するために芸能活動を休止したタイミングです。

 24年1月8日に松本さんが休止を発表したタイミングで、当時『まつもtoなかい』だった番組を打ち切るのがどう考えても自然ですし、打ち切るべきタイミングだったはずです。そのとき、フジテレビは中居さんの問題も抱えていたわけですからね」(前同)