3月下旬の球春到来から、気づけば早や3か月。その間に起きた球界の“地雷ニュース”をとことん深掘り!
2025年シーズンのプロ野球も、折り返し地点。本サイトのプロ野球取材班が、前半戦の舞台裏を総まくりしていこう。
やはり一番の衝撃は、去る6月3日午前に届いた、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督(享年89)の訃報だ。
「戦後日本を明るく照らしたミスターの死に、多くの日本人の胸にぽっかり穴が空きました。それは球界人も、僕らメディアの人間も同様。あの日は朝から、食事もとらず、ただひたすら追悼取材に没頭しました」(スポーツ紙デスク)
今へと続くプロ野球人気も、不世出のカリスマ、長嶋茂雄がいたからこそ。
ただ、仮に入団先が時の巨人でなかったら、後の「ミスタープロ野球」も、おそらく生まれなかったはずだ。
現役時代に第1次政権の長嶋巨人でもプレーした伊原春樹氏は、こう語る。
「あの頃はドラフトもまだなかった時代。立大の先輩である大沢(啓二)親分のツテで南海入りはほぼ決まりとも言われていた。
仮に、それが実現していたら、後の野球人気もあったかどうか。性格的に気しい野村(克也)さんとのコンビも、王(貞治)さんのようには、すんなりいかなかった気はするよね」
そのミスター、最期の願いは“愛弟子”松井秀喜(51)に、巨人の監督を託すこと。松井帰国時の恒例行事でもあった会食の席でも、「監督をやれ」と、自ら口説くのが常だったという。
ミスターの信頼も厚かったベテラン記者が、知られざる一幕を、こう明かす。
「いつだったか、長嶋さんが語気を強めて“松井があんな臆病なヤツだったとはと落胆していたのは、すごく印象に残っています。
どうやら、例によって固辞し続ける松井が“結果を出せないときのことを思うと……”と、不安を吐露したことがあったようでね」
当のミスターも、その監督キャリアは、1年目にして球団初の最下位という茨道からのスタートだった。
弱気な姿勢を何より嫌うミスターだけに、松井の煮えきらない態度に、歯がゆさも感じていたようだ。
「それだけに、死去を受けて“約束を果たしたい”と語った松井の姿には、天国の長嶋さんが一番、喜んでいるような気がします。
それこそ松井には、事あるごとに“人生には思いきった決断をするときが必要なんだ”と説いていた長嶋さんでしたからね」(前同)
そうなると、がぜん気になる“監督説”の行方。だが、当の松井は告別式後の囲み取材では「自分自身と、これからの監督との対話で監督が導いてくれる」と、ややトーンダウンしている。
巷では、15年オフに松井招聘に自ら動いた当時の堤辰佳GMの「時計の針は巻き戻せない」発言を引き合いに、依然、否定的な見方をする向きもあるが……。
「当の松井が、阿部慎之助を押しのけてまで監督に就く可能性はゼロに近い。
ただ、築地市場跡地で進む新球場計画にはやはり、それなりの目玉も必要です。現状の開場予定は、早くとも7年後。それだけの猶予があれば、松井の腹も決まるはず」(前出のデスク)