■神社の手水舎と同じ!手を清めてから祈りを捧げるユダヤ教
ユダヤ教の聖典である旧約聖書には、こう記されています。
〈あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない〉(レビ記2章13節)
日本と同じく、塩を神様にお供えしていたんですね。
また、旧約聖書には、戦争で流れた血を塩で清めたという一節があります。
今でも、新しい家に入るときには塩をまく――、そんな風習がユダヤ人の間には残っているそうです。店先や玄関に盛り塩をする、日本の習慣とよく似ています。
水は、さまざまな宗教で洗礼に用いられていますが、ユダヤ教には特別な場所があります。
現在のイスラエルの首都・エルサレムの旧市街にある、『嘆きの壁』です。かつてエルサレム神殿が建っていたというその壁は、現在は、ユダヤ教徒たちの祈りの場になっています。
そして、壁がある広場には、手を洗うための場所が用意されいて、訪れる人たちは、まず、そこで手を清めてから祈りを捧げるそうです。これはまさに、日本の神社の手水舎と同じですよね。
こうした類似点は、私が今、興味を持っている、日本とイスラエル(=ユダヤ人)には深いつながりがあるという、いわゆる‟日ユ同祖論”でも語られています。
