■八木上等兵のモデルは国民的キャラクターを生み出した大企業の創業者か

 八木は、やなせさんが戦前と戦後に知り合った2人の人物がモデルだと言われている。

 まず、“戦時中の八木”は、やなせ氏の自著『アンパンマンの遺書』(岩波書店)で書かれている“新屋敷上等兵”という人物がモデルだとされる。同著には《鬼屋敷と呼ばれて恐れられていたが、なかなかの快男子》《上等兵殿が風よけになって、いくらかリンチの嵐は防げた》という記述もあり、人物像が『あんぱん』の八木と一致している。

 そして、 これから描かれる“戦後の八木”は、国民的キャラクター・ハローキティで知られる「株式会社サンリオ」の創業者で同社代表取締役会長の、辻信太郎さん(97)がモデルではないかと言われている。

「辻さんはやなせさんより9歳年下で、出会ったのは1960年代。ここは『あんぱん』とは違います。

 一方で、辻さんは『あんぱん』で八木が読んでいたゴーリキーの『どん底』を“感銘を受けた本”として自著『これがサンリオの秘密です。』(扶桑社)に挙げていて、名前も“信之介”と“信太郎”で、似せている感じ。

 何より、史実での『アンパンマン』誕生の背景には、辻さんとサンリオが深くかかわっているんですよね」(前出の女性誌編集者)

 1960年代半ば、やなせさんは辻さんのオファーを受けて、グラフィックデザイナーとして現在のサンリオ(当時の社名は『山梨シルクセンター』)と関係を持った。当時の同社は小規模な会社だったが、1966年にやなせさんが初の詩集『愛する歌』を出版社から出そうとした際に、辻さんは周囲の反対を押し切り、出版部を創設。同著の大ヒットもあり、やなせさんは同社で絵本の執筆も開始。

 そして、1970年4月に同社から発売された短編メルヘン集『十二の真珠』内の収録作品として、青年誌『こどものえほん 1969年10月号』(PHP研究所)に掲載された短編『アンパンマン』が収録されたのだ。

 当時の『アンパンマン』のデザインは、作中でも「薄汚い奴」「かっこわりぃ」など酷評されている中年のおじさん。シナリオは現在の『アンパンマン』の根幹にある“空腹の人を救うヒーロー”という部分は変わらないが、結末も含めて“カッコいいヒーロー”へのアンチテーゼが込められた、大人向けの作品だった。なお、現在イメージされる『アンパンマン』は、1973年にフレーベル館より子ども向け作品『あんぱんまん』として発表された。

「やなせさんは、悲惨な戦争を通じて“正義”は簡単に逆転することを痛感。『アンパンマン』には、飢えている人に食べ物を与えることだけは“絶対的な正義”だという、やなせさん人生観が込められています。

 そして、辻さんが現サンリオを創設したのも、やはり戦争による体験が影響しているんですよね」(前同)