■アンパンマンと同じく、戦争の悲劇を経て生まれたのが――
辻さんは出征することはなかったが、1945年7月、当時17歳の頃、故郷である山梨県・甲府市で空襲に襲われた。大勢の人が死に、街は焼け野原になった。辻さんはこの経験から「戦争をなくすために、みんなが仲良くなる仕事をやりたい」と思い、山梨県庁での勤務を経て、1960年に「株式会社山梨シルクセンター」(現在のサンリオ)を設立。当初は主に小物雑貨を販売する、小さな会社だった。
6月6日配信のNHKインタビューで辻さんは、
《子どもも大人も、鉛筆でも消しゴムでもハンカチでもいいし、ちょっとしたものをあげるとやっぱりそれが機会となって仲良くなってくんです。だから『スモールギフト、ビッグスマイル』というあいことばで小さな贈り物をしていける、そういう会社をつくろうと思ったんです》
と、コメント。企業理念「みんななかよく」を体現するキャラクターとして、「ハローキティ」を生み出したと言い、
《戦争してもしかたないなんていうことはありえないんです。人と殺し合うことだけはやめないとだめなんだと大きい声で世界に向かって言ってほしいと作った》
と、明かした。
視聴者の間でも辻さんを八木(妻夫木)のモデルだと考える声は多く、
《お話が進んだら崇と詩集出版するのかな》
《嵩と八木が戦争経験者だからこそ、どんな気持ちでアンパンマンやキティちゃんと言った夢と愛が詰まったキャラクターや、平和で幸せな世界観を作ったのか分かる気がするなぁ》
《ふとサンリオの企業理念を思い出した「みんななかよく」 この言葉には「なかよく」は「争い」よりずっとずっと強く揺るがないものの意味もあるらしい。戦争を生き抜いた八木さんの信念かもね》
といった展開の予想や、現実の企業理念と照らし合わせる声が多く寄せられている。
史実では就職先の「高知新聞社」が初顔合わせだった暢さんとやなせさんを、大胆にも“同郷の幼馴染”という関係性にアレンジした『あんぱん』。サンリオ創設者・辻さんがモデルとされる八木の今後は、どう描かれていくのだろうか――。