武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。

 日本映画史に燦然と輝く数々の名作を残した脚本家・橋本忍の栄光と挫折を描いた『鬼の筆』(春日太一著・文藝春秋)という本を題材に、橋本忍の数奇な人生と日本映画の名作に隠された製作秘話をお話しております。

 前回は橋本の脚本家デビュー作『羅生門』(黒澤明監督)が海外で高い評価を受け、橋本の脚本家人生が華々しく幕を開けたお話をさせていただきました。

 さて『羅生門』で日本映画の国際的評価がバンと上がって勢いづいた東宝は次々と映画製作に乗り出した。

 橋本が次に書いたのが、こちらもクロサワ作品の名作『生きる』(1952年公開)。

 これも橋本らしい構成で、主人公である役所の役人(志村喬)の葬儀に訪れた人たちの回想により、生前の主人公の人物像が語られていく。ガンで死んでいく主人公が雪の中でブランコに揺られながら「命短し、恋せよ乙女」と微笑みながら口ずさむ有名な名場面。

 ラストの感動的なシーンは皆さんもご存じかと思います。この作品も海外で高い評価を受けた。

 さあ『羅生門』『生きる』と当たったもんだから、ますます勢いづいた東宝は、すぐに次のクロサワ作品を作りたい。若き黒澤明が燃えたのが「徹底的にリアルな時代劇」を撮ること。それを受けた橋本は、江戸時代の侍の一日を忠実にリアルに描くことにした。こうして『侍の一日』の脚本製作が始まった。

 朝、お侍がお城に行くのは分かる。城からの帰宅時間も分かる。しかし、肝心の昼間に何してるのか、さっぱり分からない(笑)。職務の具体的な内容に関する資料が、まったく残っていなかったんですって。

 中でも一番の問題は昼飯。弁当を持参したのか、それとも城で昼食が出たのか…それが、どんなに調べても出てこない。実は侍の暮らしは儀式上の行動は資料に残っていても、日常の記録は残っていないという。

 さて、困り果てた橋本忍。黒澤も頑固で、昼飯に何を食ってるか分からない限り映画は撮れないという。揉めに揉めたあげく、企画はボツ。『侍の一日』はお蔵入りとなった。

 それでも侍モノを撮りたい黒澤が橋本に、こんなことを聞いたと、本書は伝えています。

《ところで橋本君…武者修行って、いったいなんだったんだろうね》