■‟世界のクロサワ”から離れよう
侍の時代、全国を武者修行の旅に出ていた兵法者たちは、その旅費をどうやって稼いでいたのか。
この黒澤の疑問を受けて調べたところ、「行く先々の道場で手合わせして食事をもらう」「道場がなければ寺が庇護してくれる」「道場も寺もなければ百姓が夜盗の番として雇ってくれる」…こんなことが判明した。侍たちは行く先々でバイトしながら武者修行をしたらしい。
特に戦国時代のように盗賊が横行していた物騒な時代は、侍が用心棒代わりに村に住み込んで、盗賊から村を守る代わりに飯を食わせてもらった。これは宮本武蔵もやってましたよね。
‟百姓が侍を雇う”――この視点に黒澤も橋本も興味を惹かれた。
「山賊に襲われないために侍が村を守る話は、どうだろうか?」
では侍が村を守る話にするとして、侍の人数は何人がいいのか。本書には黒澤が侍の人数を思いついた記述もあります。
《3、4人は少な過ぎる。5、6人から7、8人…いや、8人は多い、7人、ぐらいだな》
もう、お分かりですね! こうして生まれたのが、『七人の侍』(1954年公開)。脚本は黒澤、橋本、小国英雄の3人。世界で最も有名な日本映画の一つになりました。ほんと、よくできてるんだ、この映画は。
『羅生門』『生きる』『七人の侍』、邦画における最高傑作とも言われる3本の映画の脚本を若干30代の橋本忍が書いた。こんなすごい映画は人生で1本作るだけでも十分なのに、橋本にとっては、これがスタートなんだから驚きです。
ところが、ここからが面白いところ。黒澤と組んでヒットを飛ばした橋本はすぐに気づいた。自分がものすごくいい脚本を書いても、栄光は全部、黒澤がかっさらっていく。
彼は、「これは黒澤と、いつまでも一緒にいちゃダメだ」と思った。‟世界のクロサワ”から離れようというんだから、いい度胸してるよね。橋本は、こんな言葉を残している。
《『七人の侍』を書き終えて、僕は黒澤明から解放された》
《『七人の侍』を終えて、これからなんでも書けると思った》