■“盗作脚本家”の汚名を着せられるも……

 テレビドラマの好評を受けて映画化しようとした橋本だが、そこで問題が起きた。何と「私は貝になりたい」というのは戦犯の遺書にあった一文ではなく、実はある人物の創作物だということがわかった。てっきり週刊朝日に載っていた“ある兵士の遺書”だと思っていた橋本にとってはまさに青天の霹靂。

 あろうことか、原作者だとするその人物から“盗作”で訴えられてしまう。

 脚本家として順風満帆だった橋本忍に訪れた初めての試練。最終的には「題名・遺書」として、その人物の名前をエンドロールにクレジットすることで和解したものの、知らなかったではすまされない出来事。心ならずも“盗作脚本家”の汚名を着せられた橋本は、それを晴らすべく自ら初めて監督した映画版『私は貝になりたい』(59年公開、主演・フランキー堺)で高い評価を得て、自らの実力で汚名を返上したのだった。

 60年代に入ると、毎年のように大ヒット作を生み出した橋本はスター脚本家として映画界を上りつめていった。その橋本が世に送り出した日本映画史に残る名作が『日本のいちばん長い日』(67年公開)。

 45年8月15日、終戦の日。その一日の朝日が昇って沈むまでの物語。天皇が戦争終結の詔(みことのり)を吹き込んだ音源を青年将校たちが奪い取って、なおも戦おうとする。その先頭に立って青年将校たちを鼓舞する黒沢年男演じる青年将校の鬼気迫る演技。

 凄まじいのが、三船敏郎演じる陸軍大臣の阿南惟幾が自決するシーン。

 日本陸軍が踏み切った大戦の責任を取って、自ら腹を切って自害するこの切腹シーンを“丁寧に描いて”みせるんだ。それがもの凄くリアルで、まるで、かっさばいた腹から内臓が出ていくのが観客に伝わるかのような壮絶な演出。

 橋本は戦時中に肺結核で隔離されていたこともあって、人間の死に様というのを嫌というほど目の当たりにしてきたんでしょう。それが、この阿南大臣の切腹シーンから滲み出ているように私には思えます。