■完成した映画を観て「これは当たらん……」

——こちらも大ヒットのうちに幕を閉じたんですが、公開前の橋本は、自分が脚本を書いたくせに、完成版を観て、心の中で「これは当たらん」と感じたんだそうです(笑)。

 内容が暗すぎる、と。実は製作した東宝も、橋本と同様に「外れる」と想定していたんだそうな。それで外れたときの言い訳用に声明文まで用意していた。本書では橋本が当時を、こう語っています。

《『こういう映画は当たり外れがあって、外れるかもしれないけれども、国民の一人としてこういう戦争意識とか何とか持たなきゃいけないから、作るのに意義があるから――』とか何とか、もう外れたときの言い訳というのがちゃんとできている。(中略)僕も外れると思っていたんだけれども》

 そんな中で、一人だけ「当たる!」と思った人がいた。それが東宝宣伝部の林さん。この人が宣伝会議の席で、とんでもないことを言い出した。

「これは当たる可能性があるから、宣伝予算をもっと出してほしい」

 彼は、こう続けます。

「先行上映に見にくるお客さんの層が、東宝のお客さんじゃない。“ゲタ履き”のお客さんが多い」

 どうも任侠路線の東映映画のお客が流れ込んできてるらしい。

「東映のお客を取り込めば、この映画当たります」

 言われてみれば確かに『唐獅子牡丹』にしろ『昭和残侠伝』にしろ、最後は次々と死んでいく男たちの物語。戦争は、そんなスケールをはるかに超えている。言ってみれば『日本のいちばん長い日』というのは日本壊滅の物語。“ヤクザのある組織が潰れました”どころの話じゃない。

 この宣伝部の林さんの指摘通り、いざ蓋を開けてみたら本当にバカ当たり、大ヒット作となった。

 その後、林さんは宣伝部長となり、黒澤明監督の『影武者』『乱』の宣伝も担当されました。『影武者』のときの黒澤監督とのエピソードを聞いたことがあります。

 林さんが、いくら催促しても黒澤監督が宣伝用のポスターを出してくれないから、勝手にポスターをつくって出しちゃったことがあったんですって。それを知った黒澤監督が激怒して「お前はクビだ!」と言い出した。そこで林さん、ふだんはおっとりした方だけど、最後に一発だけこの人に皮肉を言ってやろうと思って言ったのが、このセリフ。

「そうですか。私は影武者ではなくて落ち武者ですね」

 洒落っ気のある人ですよね。

 実は林部長は、私の『刑事物語』の宣伝も担当してくださいました。橋本忍みたいな大物も担当され、世界のクロサワとも渡り合い、さらに、私が主演したB級映画も一生懸命、励ましてくださった。

 この本の中にこの人の名前が出てきたときに、私は本を読みながら思わず「林さ~ん!」と声を上げておりました。懐かしい人に本の中で再会しました。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著
鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著

稀代の脚本家・橋本忍の決定版評伝。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。