■橋本流サスペンスはシンプルに殺さない

 吊り橋上で、久子が佐知子に、こう語りかける。

「昔のことを隠すためには、いろいろと人には言えない苦労や辛い目にも遭ったんだろうねぇ」

 佐知子の苦労に同情する昔仲間の久子の言葉を聞いた佐知子は、あまりの切なさに久子に抱きつき「サリー!」と叫んで泣き出す。久子の優しさに触れ、過去を隠すことに疲れ果てた佐知子は自首しようと決意し、久子を車に乗せて走りだす。

 ところが、ここからが橋本流のサスペンス。

 後ろの座席に座った久子は、座席にあったウイスキーの瓶を見つけると、ひと口飲もうとする。しかし!それは実は、佐知子が男を殺すために使用した青酸カリ入りのウイスキーだった……。

 久子の「ご馳走になるよ!」の声にハッと後ろを振り返った佐知子が目にしたのは、毒入りのウイスキーを口にしている久子。慌てて車を止めるが間に合わない。久子は苦しみながら絶命していく。

 原作の小説には、このシーンはありません。シンプルに殺されただけ。それを映画では、いったん殺そうと思いながら、久子の優しさに触れた佐知子が、涙ながらに“殺すまい”と改心して、やっと人間らしい気持ちになったかと思いきや、その瞬間に久子が死んじゃう。

 泣けるよね。ここらあたりが橋本忍の力量のすごいところ。橋本自身が言うように、観客を悲劇のシーンでねじ伏せるような“腕力ある脚本”です。

“過去を知る人物が現れたから吊り橋から突き落とす”では、“すべての悪を佐知子に任せすぎている”んですね。小説はそれでもいいだろう。しかし映画になると、悪を描きすぎると観客は悪にも退屈する。

 最も衝撃的なのは、悪から抜け出して善人になろうと決心した瞬間、悪に舞い戻らざるをえない突発事故が起きてしまう悲劇だ。橋本は「それこそ悲劇なんだ」と考える。

 お客をスッキリした気持ちで帰しちゃ、サスペンスなんかできない。連続殺人犯の佐知子に対して久子が言った、「いろいろと人には言えない苦労や辛い目にも遭ったんだろうねぇ」は、客を泣かせる悲劇のための、値千金のセリフになる。小説の読者からは「原作と違う」と反発もあった。でも、橋本は取り合わなかった。

 本書には橋本の言葉で、こう書かれています。

《原作は何を目指していたのか、それを捕まえて、それを伸ばしていくことが、バトンを受け継ぐ者の仕事じゃないかな。原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ》

 けっして原作を好き勝手に変えていいわけではないけれど、紙の上に書かれた物語と映像化した作品は別の次元の話。

 橋本はあえて殺さずに、より哀しい展開に変えることで人間ドラマを描いた。これぞ、橋本忍脚本の真骨頂。観客の心をわしづかみする“鬼の筆”なんですね。まさに、この鬼は泣きながら泣かせるのです。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著
鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著

稀代の脚本家・橋本忍の決定版評伝。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。