海を渡り世界に挑んだ日本人選手。開拓者を道標にし、ドジャーブルーに袖を通した男たちの足跡を回顧

今オフ、また、侍選手がポスティングで海を渡る。

「大リーグ挑戦が確実視されるヤクルト・村上宗隆(25)の移籍先として、またもドジャースが最有力候補となっているんです」(スポーツジャーナリスト)

 すでに多くのメジャー関係者が日参している。

「ドジャースの他、12日のDeNA戦(神宮)に編成本部長が自ら視察に訪れたメッツ、マリナーズ、レッドソックスなども獲得に乗り出している。ただ、ドジャースは、資金力で群を抜いている」(スポーツジャーナリスト)

 大リーグ評論家の福島良一氏は、どう見るか。

「左の強打者を求めているアストロズなども候補には挙がるが、ドジャース入りの可能性は十分ある」

 正三塁手を探しているチーム事情もあるという。

「三塁手のマンシーは、来季36歳で、現在も長期離脱中と故障がち。同じ左の強打者で10歳若い村上は、新陳代謝が常に求められるチームの補強ポイントとも合致します。あとは、けっして高くない守備力とフィジカル面での不安が、どう判断されるか。個人的には、大谷翔平(31)と常に比較されるのは、かなりの重圧だと思いますが」(大リーグ評論家 福島良一氏)

 メジャー挑戦という重い扉をこじ開けた先駆者・野茂英雄の活躍以降、日本人にとって最も親しみがある球団がドジャースだろう。

 大谷、山本由伸(27)、佐々木朗希(23)の日本人トリオに、“三冠王”まで加入ともなれば、さらなる盛り上がりは確実だ。

「実際、95年に野茂が巻き起こした“トルネード旋風”は、94~95年にかけてのメジャーリーグの歴史上、最長の232日にも及んだストライキで人気が急落した野球の復権にも大きく貢献しました」(福島氏)

 ドジャースのオーナーを長く務めたのは、親日家で知られたオマリー一族だった。

「現在はグッゲンハイム・パートナーズへ変遷していますが、球団の戦略として今も日本を最重視していることは間違いありません。

 なによりドジャースは、初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを生んだ球団。人種平等の意識が高いんです」(前同)

 今回はMLB屈指の名門球団で活躍した侍選手たちの躍動を振り返っていこう。

 前述の野茂の最大の見せ場は渡米2年目、96年9月17日のロッキーズ戦。標高が高く打球が飛びやすい球場として知られる敵地クアーズ・フィールドで達成された、現時点でも唯一のノーヒットノーランだろう。

 野茂とは同学年の藪恵壹氏が、当時をこう述懐する。

「遠い別世界の話じゃないんだと思えたのは、間違いなく野茂がいたおかげ。97年にエンゼルス入りしたシゲ(長谷川滋利)は、“先を越された”と悔しがっていたし、ドジャースでもプレーした木田(優夫)も、私の渡米前年にホワイトソックス入りした高津(臣吾)も、みんな野茂と同い年。みんな触発されたよ」

 一方、その野茂が4球団を渡り歩き、再びドジャースに戻った02年には、現在の菊池雄星(34/エンゼルス)らへと連なる日本人左腕に先鞭(せんべん)を付けた石井一久が一躍、大ブレイク。

 初先発にして、球団タイ記録の10奪三振をマークするや、その後も破竹の6連勝。1年目の野茂を超える14勝を積み上げた。

 前出の藪氏が言う。

「彼の成功要因は、向こうのボールでもスライダーがよく曲がったこと。逆に私は全然曲がらず、スプリットとチェンジアップを主体にせざるをえなかった。

 同じ左でも井川(慶)は、やっぱり“曲がらない”と言っていたから、その成否には、少なからずボールとの相性もあったと思うね」