■キリスト教が関係しているという大胆な仮説

 聖徳太子は、574年に、飛鳥の地(現在の奈良県)に誕生。父は用明天皇、母は曽我一族の穴穂部間人皇女と、父母ともに天皇家の血筋を引く、由緒ある生まれでした。

 とても優秀な人物で、若冠20歳で叔母にあたる推古天皇の摂政となり、政務の実権を握ったと言われています。冒頭でも触れた十七条憲法の制定や、個人の才能を重視した官僚制度“冠位十二階”の導入などの功績が、特に有名です。

 他にも、仏教寺院の建立に尽力し、現存する世界最古の木造建築である法隆寺の建立に携わるなど、数々の功績を残しています。

 まさに日本史上屈指の偉人なんですが、功績があまりにも多いので、それらすべてを一人で成し遂げたとは考えにくい――。聖徳太子は後世に創られた存在なのではないかと、実在を疑う要因にもなっています。

 また、聖徳太子という名前も議論の的です。実は、聖徳太子は後世に付けられた称号で、本名は、“厩戸皇子”。現在の教科書(山川出版社『詳説日本史B』など)には「厩戸王(聖徳太子)」と記載されています。

 その名の通り、母の間人皇女が馬小屋の前で産気づいたことが由来とされていますが、馬小屋(家畜小屋)で生誕した――といえば、イエス・キリスト。そうした類似点から、キリスト教が関係しているという大胆な仮説もあるそうです。