■セリフをカットして音楽と映像で魅せる

父子の旅の中に親子のセリフが入るとすると、観客はその意味内容を知ろうとする。その瞬間、解釈に気を取られて邪魔になって画が見れないの。(中略)だから、セリフ全部取っちゃったんだ

 本書には橋本の言葉でこう書かれていますが、セリフをカットして映像と音楽だけで見せたことで、父子の旅がより観客の心に残る名シーンになるんです。

 北国の冬の浜辺を歩き、神社の床下で抱き合って眠る父子……切ない情感を描き出した胸に刺さる名カットの数々がピアノと楽団で演奏される『宿命』をバックに描かれる名場面。

 この哀しい旅が、美しいのなんの。その中の一つに、こんなシーンがあります。

 真っ黄色の菜の花畑の一本道を「乞食の子」と言われながら石を投げつけられて父子が歩いていく。おそらく、このカットは山田さんが推薦のロケ地ではないかと推察いたします。

 ほんと彼はいいロケ地を知ってるのよ。寅さんと一緒に旅ロケしてるから。ああいう美しい風景カットのセンスは絶対に山田監督のアイディアだと思う。父子の旅の場面には、寅さんと見間違うようないいシーンがあるんだなあ。もう、それだけで涙、涙……。

 しかし、これだけでは終わらない。トリックがまだあるんだ。原作とは大違いの橋本トリックが。

 映画では療養所にいる父親(千代吉)のもとを今西刑事が訪ねて、一枚の写真を見せながら尋ねる。

「こういう人をご存じかどうかと思いまして」

 そこに写っているのは和賀英良。一目で息子の成長した姿だと分かった父・千代吉は、車椅子に乗せられ、年老いた不自由な手で写真を握りしめながら、おんおんと慟哭する。そして、やせ細った身体から、絞り出すように叫ぶ。

「そんな人、知らねえ」

 あれほど守り抜いた愛しい息子を「知らない」と叫ぶことで守ろうとする哀しさ。これは橋本が仕掛けた“泣かせ”の罠なんだけど、まんまとハマって泣けるんだよなぁ……。

 ちなみに、原作では父は、とっくに死んでおります。しかし、映画では生きていることにした。最愛の息子のことを「知らない」と言わせることで、絆の強さを描こうとした。

 原作が訴えかける病への差別ももちろん大事ですが、橋本にとっては、それ以上に、会いたい息子を「そんな男は知らん」と言って泣く父親の情感が大切なんだ。橋本忍という脚本家は、とことん涙にこだわるんだなぁ。ドラマづくりというのは、そういうものなんですね。

 こうしてベストセラー『砂の器』は原作とは似ても似つかない映画(失礼ですが)となり、日本映画史に残る名作となった。松本清張も、「映画化された私の作品の中で一番出来がいい」と称賛したそうです。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著
鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折/春日太一 著

稀代の脚本家・橋本忍の決定版評伝。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

武田鉄矢(たけだてつや
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。