■映画の嘘を嘘なく演じるのが健さんだった

 実は、この『八甲田山』の撮影が終わった高倉健さんの次の仕事が、初めて私が映画に出させていただいた『幸福の黄色いハンカチ』(77年公開)でした。撮影当時はまだ『八甲田山』は公開されていないため、作品の内容については何も知らずに私は健さんと出会うわけです。

 この撮影の合間に、健さんがボソボソっと例の朴訥(ぼくとつ)とした口調で撮影エピソードを話してくれたんですが、「あんときは泣けたなぁ」とお話しになったシーンが、健さん演じる徳島大尉が雪中で死んだ神田大尉と遺体安置所で対面する場面。

 神田と徳島は雪中行軍に際して、八甲田山中で再会すると誓い合って出かけたが、徳島隊がいくら進めども神田隊が現れない。不吉な予感にかられた徳島のもとに神田隊が遭難したという報告が伝えられる。悲しいことに徳島は凍死体となった神田と再会することになる。

 死に顔を確認しにきた徳島に向かって神田の妻が言う。

「神田はあなたと八甲田山中にてお会いすることのみを楽しみにしておりました」

 すると健さん演じる徳島大尉が顔のあちこちに雪をつけ、棒立ちのまま、

「いいえ、自分は確かに八甲田山中にて神田大尉とすれ違いました」

 瞳から涙をはじき出さんばかりに吠える健さんの演技。もう、なんだかジョン・ウェインを見ているようでカッコいいのなんの。

 これは健さんご本人から聞いた話ですが、あのシーンは雪の白さを出したいということで、実際に雪の中に死体置き場のセットを組み、極寒の中で撮影が行われたそうです。

 設定上は棺を開けると神田大尉の遺体が入っている。とはいえ、もちろんキャメラは1台ですから、棺を覗く徳島の顔と棺の中で寝ている神田をワンショットでは撮れない。別撮りになるので、棺の中に北大路さんは入っている必要がない。

 ところが健さんが棺の蓋を開けて中を見ると、北大路さんが本当に入っていた。寒い中、じっと黙って棺の中に入っていたんです。健さんは北大路さんのその役者魂に胸がいっぱいになったとおっしゃっていました。

 映画は嘘に決まっている。その嘘を嘘なく演じるのが健さんなんだ。

『幸福の黄色いハンカチ』はロードムービーですから、毎日ロケ。山田洋次監督が疲労困憊でフラフラになりながら、懸命に陣頭指揮を執って演出しておられた。それを我々は映画で乗っていた赤い車の中からじっと眺め、出番を待っていた。そこで健さんがボソッと「監督ってのは、やっぱりすごいなあ」とつぶやいて、こんな話を聞かせてくれました。

「なあ鉄っちゃん、去年俺、『八甲田山』っていう映画やったんだけどさ、まぁきつい映画だったなぁ。雪の中でずっと耐えて耐えて耐え抜いて演技するシーンが多くてさ。でも鉄っちゃん、映画監督っていうのはすごいこと考えるよ。俺は監督から“立ってろ”って言われたから吹雪の中じっと立ってたけど、まさか、あんな出来上がりになるとは思わなかった」