■回想シーンの緑は凍える白との対比
健さんが言うには、吹雪の中、じっと立っていると、あまりの寒さに意識が飛んでくるそうです。そのボーッとする顔を監督はずっと撮っていた。そして映画の出来上がりを見て、あっと驚いた。
雪の中で寒さに耐えている徳島大尉の顔が、少年時代の風景に変わっていく。
それも真夏。青森県のあたり一面の田んぼで、徳島少年が夏の暑さの中、親たちが田植えをする姿を畔から眺めている情景。
雪の白と夏空の青と水田の緑、この色のコントラストを見せることで、徳島が置かれている極寒の状況をより際立たせて観客に伝えることができる。雪中行軍をいくら撮っても所詮、画面は“白”ばっかり。回想シーンで青や緑を挟み込むことで、凍える白との対比が出る。それが涙に結びつく。
「あのカットは良かったなあ」
健さんが、しみじみと語っていたのを覚えています。
ところが、徳島と神田の友情の描き方について、橋本自身は本書の中で「失敗」と振り返っています。
脚本の間違いなんだ。どこかというと、八甲田へ進む前。神田大尉が青森から、弘前の徳島大尉を訪ねる場面なんだ。神田は『雪中行軍の辛い時には、子どもの時を思い出す』っていう話をする。それに対して徳島は『俺はそんなこと、思わんな』と言う。ところが、徳島が一番苦しくなったときには、子どもの頃の春だとか、夏だとか、秋が出てくる。それによって、徳島は神田のことを雪の中でも思うわけだ。(中略)でも、いかんせん、八甲田へ出発する前のほうの話なんだよ。だから「結」になって、それが出るときには、もう、お客さんにその記憶がないのよ。
つまり、徳島大尉は出発前に神田大尉との宴席で聞いた『子どもの時を思い出す』ことで生き延びることができたが、その“前フリ”である宴席のシーンが映画の前半すぎたと言いたいんですね。しかも、わりとサラッと流されてしまいそうなシーンだったので、観客がこの前フリを忘れてしまう話の構成になっている、と。
「これで泣かなきゃ、おまえ、人間じゃねーぞ」というところまで観客を追い込んで、腕力で泣かせる。それが橋本忍という脚本家の鬼の筆。大ヒットしても、「もっと泣かせることができた」と橋本忍は後悔していたそうです。
私も人生の中で一度だけ、橋本さんとすれ違ったことがあります。私がハンガーを振り回すB級映画の『刑事物語』を撮影していたとき、隣のスタジオで橋本さんが『幻の湖』という映画を撮っておられました。
お話しすることはかないませんでしたが、“橋本忍”という巨大な名前に、私は映画人の一人として、心のどこかでワクワクドキドキしたのを今でも覚えております。

稀代の脚本家・橋本忍の決定版評伝。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。