横綱、親方として、相撲を通じて日本文化や神事に長らく関わってきた貴乃花。自身が体験したことや、本を読んで学んだこと、そして、心に残った“ニッポンの魅力”を、歴史の話も交えながら伝えていく。
前回は、聖徳太子の数々の謎を深掘しました。太子は、両親ともに皇族という由緒ある生まれで、若くして政務を担い、数々の改革を実行した偉人なんですが、その一方で、現在は、外国人説も囁かれていると、お話ししましたね。
その外国人説の根拠の一つが、太子の側近として知られる秦河勝をはじめとする、“秦氏”という一族との関係性です。秦氏も、聖徳太子に負けず劣らず謎めいた存在で、私が今、関心を寄せている“日ユ同祖論”、つまりは日本とユダヤの関係を考察する際にも議論の的になっています。今回は、そんな秦氏の歴史を紐解きましょう。
結論から申し上げると、秦氏は海外から渡来した一族です。例えば、『日本書紀』には、応神天皇14年(西暦283年頃)に、弓月君(ゆづきのきみ)という人物が、新羅を経由し、およそ2万人の集団を率いて、日本に渡ってきたと記されています。
弓月とは、シルクロード沿いに存在した国の名前で、現在の中国の新疆ウイグル自治区周辺にあったとされています。
名前の由来は諸説ありますが、平安初期の資料には、「秦の始皇帝の三世の孫」と記されています。
秦は、初めて中華を統一した王朝で、日ユ同祖論では、この秦王朝がユダヤ系だった可能性が指摘されています。このことから、秦氏=ユダヤ人説につながるわけですが、それはまた別の回でお話ししましょう。