■八幡神社の「八幡」はユダヤ教の神「ヤハウェ」に由来!?
秦氏は、土木技術をはじめとする大陸の進んだ文化を日本にもたらし、古墳の建造や埴輪の製造にも携わりました。結果、天皇から厚い信頼を得て、日本で大きな影響力を持つ一族になります。そして、その後の飛鳥時代に、秦氏の子孫である、秦河勝が聖徳太子の側近になるわけです。
河勝は聖徳太子のブレーン的存在で、国造りに大いに貢献します。富裕な商人でもあり、その財力で、朝廷の財政面にも関わっていたようです。四天王寺の建立や運営に際しても、聖徳太子に強い影響を及ぼしたとされます。
また、秦氏は、日本の神道にも大きく貢献し、各地に八幡神社をたくさん作りました。全国8~11万社の神社のうち、八幡神社は約4万社にも上ります。
先の通り、秦氏が渡来したのは応神天皇の時代ですが、八幡神社の主祭神が応神天皇であることを踏まえると、両者の深い関係性がうかがえますよね。
現在は「八幡(はちまん)」と読みますが、元は、「やはた」だったそうです。“八”にはたくさんという意味があるので、たくさんの秦氏を指すという説や、はたまた、ユダヤ教の旧約聖書に登場する神「ヤハウェ」に由来する説など、秦氏が関わった神社だけに、今もさまざまな考察がなされています。