横綱、親方として、相撲を通じて日本文化や神事に長らく関わってきた貴乃花。自身が体験したことや、本を読んで学んだこと、そして、心に残った“ニッポンの魅力”を、歴史の話も交えながら伝えていく。
歴史に“もしも”はありませんが、想像をしてみると胸が躍りますよね。
私の中で、その最たる例が源義経です。源平合戦の英雄として有名な武将ですが、実は近年、驚きの仮説が再注目されています。
それは、義経がモンゴルの英雄、チンギス・ハンだったというもの。今回は、その謎を深掘りしてみましょう。
義経は1159年、源義朝の九男として誕生。腹違いの兄に、のちに鎌倉幕府を開く頼朝がいました。幼い頃、平家との争いで父を亡くした義経は、7歳で京都の鞍馬寺へ。平家打倒の思いを胸に育ちます。
1180年、兄の頼朝が平家打倒のために挙兵すると、義経も駿河(現在の静岡県)で合流し、各地で戦功を挙げます。
とりわけ有名なのが“一ノ谷の戦い”です。断崖を馬で駆け下りて平家を奇襲した“鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし”は、比類なき妙策として今も語り継がれています。その後、壇ノ浦の戦いなどでも活躍した義経は、源氏を勝利へ導いた英雄として名を上げるんです。
ところが、思わぬ窮地に立たされます。頼朝との確執から反逆者として追われる身になったんです。