■英国のビートルズと司馬遼太郎の共通点

 あれは、高校3年のときのこと。私の友達に“高取くん”という友達がいまして、彼が隣のクラスの“しろうず”っていう女子を好きだった。

「白水」と書いて「しろうず」。ちょっと変わった九州特有の名前。

 高取くんが私と2人で学校から帰っているときに告白するんですよ。

「オレは白水が好いとう!」

 そして、その後に出てきた言葉が、「ビートルズは白水のこと、知っとー」

 突然、何を言い出すのかと思ったら、高取くんが私にこう言いました。

「たけやん、ビートルズの新曲ば聞いてごらん。♪しろうず、イエイ・イエイ・イエイ♪」

 もう皆さんおわかりですね、『She Loves You』(1963年)。“しろうず”大好きな高取くんには♪しろうず、イェイ・イェイ・イェイ♪に聞こえた。

 つまり当時の若者にとって、ビートルズの4人は遠くのアイドルではなかった。英語で歌うイギリスのグループにもかかわらず、すぐ傍にいる“身近な4人”に感じられた。だから高取くんの空耳が生まれた。

 私が司馬遼太郎の作品を読んで受け取ったパワーも、実に、それと似ている。その距離の近さ。

 私が18歳のときに読んだ『竜馬がゆく』。私はあの本を読んで、すっかり竜馬に魅せられました。司馬遼太郎の文章を読むと、竜馬を身近に感じる。竜馬が目の前に見えてくる。

 竜馬は政治運動を展開するためにいろんなスポンサーを訪ねますが、その中の一人に京都から九州に落ち延びた討幕派の公家がいた。

 黒田藩に匿われて太宰府という街に住んでいた、その公家を竜馬は訪ねていく。

 太宰府は私が住んでいた街の隣り町。『竜馬がゆく』で、その話を読んだ後、私は太宰府に行くたびに「この道を竜馬が歩いたんじゃないか」と思えて、それまでの、ただの道が特別な道に思えてきました。

 司馬遼太郎のすごさはそこにある。教科書に収まっていた歴史が、自分の前まで通じている。彼の文章には暑さや寒さ、痛みや握力さえも感じる。

 それが主人公の心情として読者の心の中に流れ込むと、目の前で主人公と語り合っているかのような、猛烈なデジャブ、既視感を感じる。

 読書をしているのに、まるで目の前の出来事を見ているかのような錯覚に陥る。そんな感覚は司馬遼太郎以外の小説にはなかったんじゃないだろうか。

 1960年代半ばから後半にかけて登場したビートルズの恋歌と司馬遼太郎の歴史小説には、どこか相通じるものがある。それは、どちらも“すぐ身近にいるように感じる”距離感。

 高校生だったあの頃の私は、身をもって、そのことを体験しました。竜馬は隣にいました。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅香帆著。「大人になってから、読書を楽しめなくなった」――。自らも兼業での執筆活動を行う著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。明らかになった、日本の労働の問題点とは?

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。