■日本各地に残る徐福の渡来伝説
司馬遷の『史記』によれば、徐福は、「東方の海上に三神山と呼ばれる島々があり、不老不死の仙薬がある」と進言したそうです。
三神山とは、中国古代の伝説に登場する、仙人が住むという蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)の3つの島を指します。
これを信じた始皇帝は、3000人の若い男女や技術者、さらには財宝や五穀を徐福に託し、東の海へと船出させました。その果てに到達したのが、中国大陸の東に位置する日本列島だというわけです。
事実、日本各地の20か所以上に、徐福の渡来伝説が残っています。
中でも、渡来地として名高いのが和歌山県新宮市と三重県熊野市です。両市には徐福の墓があり、熊野市からは秦代の通貨“大型半両銭”も出土しています。
現地の言い伝えによれば、中国大陸を出発した徐福の船団は、途中で台風に遭って壊滅状態になり、徐福が乗った船だけが奇跡的に紀伊半島の沿岸部(現在の熊野市波田須町あたり)に漂着。徐福はそのまま住み着き、熊野の人々に農耕や漁法、医薬といった大陸の技術を伝えたそうです。
紀伊半島は、西から東へと流れる“黒潮”の通り道です。徐福の船が、その黒潮に乗って熊野にたどり着いたと考えれば、十分に現実味がある話だと、私は思います。