■クライマックスを書くために海戦が行われた海上のポイントへ

『坂の上の雲』のときも「現場を見たい」と言い出したそう。その現場というのが、物語のクライマックスでもある、日本海海戦の連合艦隊とバルチック艦隊が最初に撃ち合った日本海海上のポイント。

「日本海海戦の場面を書き出す前に、どうしても、そこに行きたい」

 大作家先生のたっての願いとあっては断れない。担当編集者は、無理を承知で自衛隊に掛け合ったそうです。「司馬遼太郎先生を日本海海戦が行われた海上のポイントまで連れて行ってくれませんか」と。

 普通なら当然、無理な相談ですが、そこはさすが司馬遼太郎。

「先生が1回講演をやってくださったらOKです」となった。それで司馬先生を自衛隊のヘリコプターに乗せて、日本海海戦のポイントまで連れて行ったそうですよ。

 その途中、目的のポイントまで向かう海上で、ヘリの機長さんが何度も何度も先生に言ったそうです。

「一緒です、一緒です」

 何が言いたいかというと「現地と今、真下に見えている海は一緒で、何も変わらないですよ」と。

 そりゃあ、そうですよ、どこまで行っても何にもない海なんだもの。でも、司馬先生は、それじゃあ納得しない。

「絶対に、そのポイントまで行ってくれ」

 たぶん、あの人の想像力では見えるんでしょうね。日本海海戦で起きた戦場の出来事が、幻の如くよみがえるんでしょう。だから、あれだけの小説を書けるんだ。

 戦国時代の作品もワクワクしますよね。私も読んで、体が熱くなりました。なんだか、自分が天下を取るような気持ちになってくる。

 実は私、1回、ご本人に聞いたことがあるんですよ。小説に書かれている“天気”のことを。

 タイトルは失念してしまったのですが、ある小説に天気について、ものすごく詳しく書かれた箇所があった。

 私の記憶に間違いがなければ、後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎と織田信長が出会う場面で、馬に乗った信長が街道を走ろうとする……ところに、藤吉郎が飛び出して、「家来衆に加えてください」と信長を拝む。その場面の天気が、まるで実際に見てきたかのように描かれているんです。空の色とか季節の気配とか、あまりにも鮮やかな文章表現でした。

 それで私、ご本人にお会いしたときに、なにげなく「あれは想像ですよね?」と聞いてみました