■信長と秀吉が出会う日はやっぱりピーカンがいい
すると、司馬遼太郎先生の答えは、
「いや、調べたんです」
秀吉と信長が出会った日というのは“天正何年の何月何日”と、だいたい見当がついている。その日の天気を同時代に書かれた資料で調べたそうです。
司馬先生は私に言いました。
「藤吉郎と信長が出会う日だから、その日が晴れているか曇っているか、雨かで読者の皆さんの印象が変わる。調べたらピーカンの晴れだった。藤吉郎と信長が出会う日は、やっぱりピーカンがいい」
そのことを確信して物語を書き出したそうです。
「たった一行を書きたくて3年、調べたことありますわ」
まるで仙人のような顔で、そう言ったのを覚えてます。
さて、『坂の上の雲』が大ベストセラーになった1970年代後半、ある言葉が流行します。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』
これはエズラ・ヴォーゲルという社会学者が書いた本のタイトルですが、「日本はアメリカを抜いて世界ナンバーワンになるんじゃないか」と世界中で囁かれ始めたんですね。各企業は戦国大名のように国内で覇権を争いつつ、海外でも戦った。そんな時代でした。
私の記憶が正しければ、80年代後半のバブル期には、ハワイのワイキキビーチに立つホテルの多くを、日本の企業が所有していたように覚えています。
当時、ハワイに行ったときに、現地の通訳の人から、こんなエピソードを教えてもらいました。
日本のある有名な自動車メーカーがハワイの奥手にある、のどかな村に営業所を持っていた。
日本からやって来た、その自動車メーカーの社員たちがその営業所の横を通るとき、バスの窓を全開にして、みんなで万歳三唱したそうです。
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
それはまさに、日本軍の進軍に似ていますよね。
考えてみれば30年前、“トラトラトラ”と真珠湾に奇襲攻撃をかけた日本軍は戦争に敗れたものの、その30年後にハワイに上陸して、多くの建物を所有していた。
敗戦から30年で、「みんなで頑張る」「みんな横並び」という日本国民総中流時代がやって来た。
国民みんなが中流階級になって万々歳の日本にあって、そのアンチテーゼとして売れ出したのが五島勉『ノストラダムスの大予言』であり、小松左京の『日本沈没』です(ともに1973年刊)。
先行きの不安をあおる予言や小説が次々とベストセラーになっていく。
こうしたオカルト的な本が売れたのも、『坂の上の雲』に込めた司馬遼太郎の思いに似て、
「日本がナンバーワンになれるはずがない」
「こんなバカな時代が、いつまでも続くはずがないんだ」
という、ぼんやりとした不安が、日本人の心のどこかにあったからなのかもしれません。

三宅香帆著。「大人になってから、読書を楽しめなくなった」――。自らも兼業での執筆活動を行う著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。明らかになった、日本の労働の問題点とは?

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。