横綱、親方として、相撲を通じて日本文化や神事に長らく関わってきた貴乃花。自身が体験したことや、本を読んで学んだこと、そして、心に残った“ニッポンの魅力”を、歴史の話も交えながら伝えていく。

 歴史の謎をひもとくこの連載では、これまで『古事記』と『日本書紀』の内容をたびたび引用してきました。

 両者は合わせて“記紀”と呼ばれ、日本最古の歴史書とされています。天皇家の起源や日本の神話が記されていて、国家が“公式の歴史”と認めた、いわばお墨付きの資料です。

 一方で、日本には、地方の神官や豪族、学者たちが独自に書き残した歴史書も存在します。“古史古伝”と呼ばれるそれらは、記紀と内容が食い違うために偽書扱いされていますが、その謎めいた記述にひかれて、今なお、熱心に研究をする人もいるんです。

 その代表格が、『宮下文書』です。古代の日本には、富士山の麓に王朝が栄えていた――そんな衝撃的な内容が記されています。

 宮下文書が発見されたのは、1883(明治16)年のこと。山梨県の小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司を務めていた宮下家で、秘蔵の古文書が見つかりました。宮下家の古文書=宮下文書というわけですね。そこに記されていたのが、前述の王朝に関する記録でした。