■富士山麓には“高天原王朝”があった

 大まかに説明すると、記紀では、天地開闢(てんちかいびゃく・天地が初めて生まれたとき)とともに現れた神々は、天上の世界に住んでいたとされています。しかし、宮下文書では、彼らは地上で暮らしていたと書かれていて、しかも、日本列島ではなく、他の大陸に住んでいたような描写がなされています。

 そして、父・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)と、母・神皇産霊神(かみむすひのかみ)の間に生まれた、御子・農左比古尊が、「蓬莱山に行きなさい」という父の命を受け、大冒険の末、日本列島の富士山の麓に到着。温泉が湧き、草木が生い茂る豊かな原野を見つけ、そこを“高天原(たかまがはら)”と名付けて、後々、同地には王朝が築かれたという記録です。

 宮下文書は、これらはすべて日本神話の国生み神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が登場するよりも前に起きた出来事としています。つまり、超古代から富士山麓には、“高天原王朝”があったというんです。

 では、なぜ、そんな超古代の記録が残っていたんでしょうか? ここで登場するのが、以前に紹介した、徐福という人物です。