■古代日本でも勝者が歴史を上書きした!?
徐福は、紀元前3世紀頃、中国の始皇帝の命を受け、不老不死の薬があるという蓬莱山を探し求めて日本列島にやって来たと、お話ししましたね。
その徐福が、かつて高天原王朝の首都があった、富士山麓の阿祖谷というところに住み着き、谷の人々から古代王朝の伝承を採集して書物にまとめ上げたのが、宮下文書の元になったと言われています。
宮下文書は、その後、1000年以上もの間、人目に触れることなく受け継がれてきました。歴史の表舞台に現れたのは、1921(大正10)年に出版された、『神皇記』という本がきっかけです。
この本は、三輪義凞(よしひろ)という人物が宮下文書を数十年にわたって研究し、その成果をまとめたものです。衝撃的な内容から、神皇記は、出版後すぐに偽書に認定されるという異例の扱いを受けました。
もちろん、宮下文書のすべてが真実とは言いませんが、こうした古史古伝も含め、歴史をひもとく姿勢が大切だと、私は思います。正史とされる記紀には、霊峰であるはずの富士山が一切、登場しませんしね。「なぜ?」と、私は常々、疑問に思っているんです。
第二次大戦後に米国のGHQが日本の歴史教育に干渉したように、勝者が歴史を改ざんするのはよくあること。それは古代日本にも起きたと考えるのが自然です。“影の歴史”にこそ、真実が潜んでいるかもしれません。
貴乃花光司(たかのはな・こうじ)
1972年8月12日、東京都生まれ。88年、藤島部屋に入門。92年の初場所で、史上最年少の19歳5か月で幕内初優勝。兄・若乃花と「若貴フィーバー」を巻き起こす。94年11月に第65代横綱に昇進。幕内優勝22回。生涯戦歴は794勝で、「平成の大横綱」と呼ばれた。2018年に日本相撲協会を退職し、現在はテレビ、講演会等、幅広く活躍中。